畏敬

雨乞の窟へ背負ふ薬師像

こんなに雨が多い年の兼題が「雨乞」。

どうにも皮肉な話だが、自分が出したこととて文句をいいようがない。
もはやなかなか見られない雨乞神事で、テレビで見たある村の年に一度の雨乞行事から着想を得て創ったものだ。
そのテレビでみたものは、村の各家から一人の男が出る決まりで、断崖絶壁にとりつき決落ちれば即死という死の行であった。
各家から出すわけだから、なかには相当年を召した方もいて、それは難行苦行。
こうまでもして百姓の村では水は命なのだ。
蛇口を捻ればばあーっと出る現代でも、昔を忘れず村人たちの自然に対する畏敬の念を思う。

吸血鬼

傘を持つ右手に藪蚊の来たりけり

利き手に蚊が来やがった。

左手もふさがっているのでどうにも、追い払うにも厄介だ。
ここんところ涼しい日が続いているので、蚊があまり出てこないのはありがたいが、来週あたり梅雨が明けたらどっと増えそうで、そんなことも気を重くさせる。

丸見え

束の間の西空うすく梅雨夕焼

西の雲がわずかに赤みを帯びた。

山の東側の裾にいるので見事な夕焼けに接する機会はまずないが、これでも夕焼けと言っていいレベルかもしれない。
ただ、今日の夕焼けは明日の晴れを約束しないようだ。まだまだ梅雨前線が居座っていて、今日南に下がっていたのがまた北へ上がってくるからだと。
ただ、わずかに希望が持てるのは梅雨明けが来週に見られるだろうという予想。
このうっとおしい梅雨が明けるのはうれしいが、明けたら明けたで今度は炎熱地獄が待っている。
コロナに加えて水害、そして灼熱の夏。GO-TOほにゃらどころではない。
困っている人は放ったらかし、GO TO利権、票田には熱心で、腐りきった魂胆が丸見えという政権は初めてである。

旨し国伯耆

熟るるまで満を持したるメロン切る

鳥取に旨いものあり。

砂の恵みがもたらした砂丘辣韮はつとに知られているが、同じく砂州が発達した弓ヶ浜半島の葱も特産と聞く。
地域的には東から鳥取、倉吉、米子と隔てられて風土文化もそれぞれ特徴があるらしいが、今いただいているのは真ん中の倉吉地区のメロンである。桃など果樹の名産地でもあるということを知った。
このブログにもときおりコメントをくれるH君が、毎年律儀に贈ってくれる玉はこれ以上はないと言うくらい大玉である。
老夫婦二人だけだから、いっぺんに食べきれるものではなく、一個を何日かかけてはいただくのだが、これが日を置けば置くほど甘くなる。
鳥取とくれば大山、砂丘を思い浮かべる向きが多かろうが、実はこうした果樹や野菜に特化した強みがあり、カレイなど海の幸ももちろん特産である。
海無し県に住むものとしてはうらやましくてならないのである。

低調

百姓の鍬もて集ふ溝浚へ

何年か前に桜井市の磐余の辺りで、昔ながらの溝攫えを見たことがある。

農家集落で、めいめい家の得物をもちあい集まってくるのだが、町勤めの若い人のなかには刈り払い機をもったり、スコップやら鎌やらそれぞれ手にしたものにバラエティがある。
下水道も未整備地区のようで、昔ながらの深い側溝は蓋もされずにむき出しで、「どぶ」の匂いがきつい。
今の時代、こうした光景は珍しいものだが、やはり下水道が未整備のところは残っておるようである。
はんして、今朝は団地のクリーンデーと称す月一回の街の掃除日で、子供にはお菓子なども配られる平和なイベントでもある。
自治会活動も今季はご多聞にもれず低調で、コロナが機になる向きは無理に出ずともいいということで、宅配便の人としか顔を合わせない作者は無論欠席だ。

中年ライダー

雷鳴に紛れバイクの試走かな
はたたがみ踵返して盆地去る

ボロロンと聞こえたかと思うと、ゴロゴロと頭上で響く。

バイクと雷さまの競演である。
お向かいはいわゆる中年ライダーで、休日となると整備に余念がない。
子供さんが大きくなるまでは、しばらく我慢の様子であるが、ときおり整備を終えたバイクにまたがりそこらを一周して帰ってくる。
見ていて涙ぐましいほどである。

小ぶり

茗荷の子膝をすすめて掘りはじむ

放っておけば庭中に広がると聞いている。

そこで、プランターで毎年少しの茗荷をいただくのだが、さすがに何年かたつとプランターがはち切れそうに株が育って、かえって発育が悪くなったようだ。それで今日やっと顔を出し始めたので探ってみると、やはりどれも小さい。
小さいからとしばらくおけばすぐにも花が咲いてしまいそうで、片っ端から折り摘むことにした。
さっそく昼の素麺の薬味に消えて、どうやら今年はそれっきりで終わりそうである。