こだくさん

軽鳧の子の夏毛もてども親を追ふ

鄙は三羽だけに減ったようである。

それでも残った子たちは2ヶ月くらいたったろうか、羽根も雛のそれから親の色となってきてちょっと見には見分けが付かないが、密着して親の後を蹤きゆくさまはやはりまだ子供である。
平群川はふだんは水量も多くないが、田植の時期はこれをせき止めてまるで小さなダムのようにして満々とたたえている。この水がはる季節は、カルガモの子育てにもちょうどいいようだ。
このまま親とは一緒に過ごし、兄弟はその後も行動をともにする。カルガモの子育てはよその子には大変厳しいから、なかま同士で次の子育ても助け合わなければならない。だから、兄弟は多い方がいいのである。
せっかく10羽以上生んでも、子育ての下手なお母さんだと次々に子供を亡くしてしまう。そういった子育ての上手い下手というのも子供の頃からの環境に影響されるのは言うまでもない。

盆地の夕凪

梅雨晴間北も南も開け放ち

真っ青な空。

梅雨晴れにしてもあざやかな色だ。
当然ながら紫外線は強烈で長時間日向には立ってられないほどだ。
室内の温度もぐんぐん上がるので、南北の窓を全開したら気持ちのいい風が通り抜ける。
ただ微妙なもので、一日のなかでも風向き、風量が刻々と変化しているのが肌でよく分かる。夕方にはちょっとの間凪があって暑苦しくなったが、風向きが南北逆に変わるといっぺんに涼しくなったり。
やはり北風は涼しい。

新月に起きる

日の蝕の夏至の光りを奪ひけり

今日になって気づいたが昨日は夏至で、しかも夕方には部分日食もあったとか。

とくに夕方に起きたせいか日食には全く気づかなかったという鈍間ぶり。
もしかすると自分をとりまく自然の動き、移ろいというものに鈍感になっているのではないかとも思うのである。
かつては日食があると天変地異の前触れではないかと大変怖れられたそうであるが、それが政ごとに利用されたり、あるいは神話での復活を暗示するキーワードとして用いられたり。
とまれ、気づくことさえなかったのだから今回の蝕も単なる天文的な偶然がもたらされたことだけは確かである。
ところで、日食は新月の日、月食は満月の日だとご存じでしたか。

蜂の巣をつついた騒ぎ

首筋の薄荷目にしむ草むしり

首タオルに頬被り。

長袖で腕をしっかりガードして、さらに首筋には香水を塗るようにごく微量北海道産薄荷の液体を塗布。うっかりスプレーしようものなら目に入ってそうれはそれはどうしようもない痛さ。しばらく水でしっかり洗い流さなかえればならない。
今日は薄曇りで気温も高くなく、おまけにおあつらえ向きの風もあってしばらく放置していた庭の掃除。
使ってないプランターをひっくり返したらそこに蜂の巣があったりして、結局予定通りとはいかなかったが、また天気と相談しながら続きをやろう。

紫陽花寺

ひばり忌や降りみ降らずみ額の花
ひばり忌や命の雨の七変化

林檎忌と言うそうである。

「りんご追分」からとられた名であると言えばぴんときますね。
美空ひばりの亡くなったのが1984年、つまり平成の元年の6月24日。その日は梅雨のしっかりとした雨が降ったり止んだりしていた日であったと覚えている。
鎌倉の紫陽花寺が人気の頃である。

幽玄

雲湧いて平群墨絵の梅雨の闇

久しぶりにデンタルクリニック。

歯石除去が目的だから、この二ヶ月間中断していた治療もとくに急ぐ必要はない。
小耳にはさんだ話だと、いままで歯科で新コロナウィルスに感染したというケースはないそうである。だから杞憂で終わったわけだけど、やはり密な状態で治療を受けるわけだから当座は注意しなければならないだろう。
昼頃雨が小休止して平群谷の周りの山々に雲がわいてきた。雲も低く垂れ込めたままで、谷全体が墨色に染まって幽玄の世界を醸し出した。

数独

鉛筆のこよなく削れ梅雨深し

梅雨湿りは困りものだが、いいこともある。

たとえば鉛筆。削るにもいつもよりスムーズに刃が通り思った通りの形に仕上げやすい。
ふだんは2Bを常用しているのだが、梅雨時に限りHBという比較的固い芯でもやわらかに書ける気がする。
今はがりがりと器械で削る時代だが、鉛筆はあの肥後で削るから愛着が生まれるのだと今でも思っている。
数独を解くには鉛筆が一番適している。柔らかい芯だからすぐに頭がまんまるになってしまうが、コロコロ回しながら使えば数字くらい何の問題もない。