守り

南天の花を鬼門の平屋かな

今はもうぽろぽろこぼれる頃。

米粒ほどの花だが、散った花弁はさらに小さく軽いので風に吹かれては道端にまでひろがってゆく。
放っておいてもすぐ朽ちるのでそのままでもいいのだが、やはり箒をかけておくのが住宅地のマナーというものだ。
わが家でも花が散った先に芽を出したのがいて、そいつを鉢に移し替えたら株は幼いながらも今年は花をつけた。
小さいながらも家を守ってくれているようである。

山へ帰るか

老鶯の窓を放ちて遠き杜

午後から空気が変わって文字通りの五月晴。

湿度がみるみる下がるので窓を開け放って風を通したら、いつもより遠くで鳴いているようだ。
いよいよ山へ帰る準備をしているのだろうかと聞き耳をたてていたら、さらに声は遠のく。これまで主なテリトリーとしていた八幡さんを捨てて信貴の山深く消えるのだろうか。

旺盛

ふえすぎて木下余地なく鴨足草

これも梅雨が似合う花だが、ひと月以上たったからすでに終末である。

試しにほんの一株植えたのが、条件がよほど揃ったとみえて植え込みのスペースいっぱいに広がって最早広がる余地がなくなった。
すると来年はどうなるのか、ちょっと気になるところである。
今年は春から何回か天麩羅の具としていただいたのだが、それくらいでは勢いはとめられないくらい元気がいい。

変身

引きはがすやうにつまみて毛虫取

玄関先に仁丹より二回りも大きくて黒いものが点々と落ちている。

さては、虫の糞だとすぐに気づいたがその上の楓を探しても見つからない。とりあえず、掃いてその場は過ごしたが、また数日たった今日も点々と。どうやら同種の虫らしい。今日こそと見上げるように枝を探したら、いたいた。長さ6センチくらいはあろうかという毛虫である。
透かし見ればなかなか毒々しい派手な衣装をまとっている。賢いやつなら保護色の術を使うのだろうが、こいつは逆に毒々しく見せて自分の身を守ろうとしているのにちがいない。
歳時記には「毛虫燒く」という季語があるが、たった一匹である。そんなことせずにそこらの棒でつまんで汚水枡へポイである。
あの虫は蝶になるのか、それとも蛾か。いずれにしてもそれなりの大きさのものに変身するはずのものであったろう。

水を得た

白紫陽花灯る隣家の昼の留守

今流行りのアナベルという種類だろうか。

真っ白で軸に沿って咲き登るような、紫陽花としては珍しい形をした花が満開である。
いかにも洋風で派手やかな感じだが、共稼ぎ夫婦だから子供たちも学童保育やら幼稚園やらで昼間は誰もいずどこか淋しげである。
夜は夜で、暗い闇にぼおっと浮かんでいて存在は隠しようがないほどだが、やはり家族にはあまり見てもらえてないみたいでちょっと気の毒のようでもある。
代わって、わが家の老人どもが楽しませてもらってるわけだが、梅雨入りしたこともあってやはり生き生きとしてきたあたりはまさに紫陽花のようである。

軟体動物

家持たぬ身は軽からめなめくじら

入梅とともにわっと湧いてきた。

壁、タイル、いたるところを這いずり回っている。
なめくじはゆっくりと動くように見えて実は速いのだ。
みぃーちゃんの食べ残しの餌入れをちょっとのあいだ放置しておくだけで、敵はちゃっかり群がっている。臭いに引き寄せられるのかどうか知らないが、食えるものへの反応として驚くばかりである。
蝸牛ならばこれほど嫌悪感がないのだが、いかにも軟体動物らしき全身をぬめぬめさせて光り輝くさまを見せつけられると触れるのも汚らわしくなる。
軟体動物でも高価なものがサザエ。これなど、切り刻んでしまえば生だって平気だし、熱を加えれば腸付きの全身をぺろっといただくのも何ともないというのは不思議である。