夏蝶の付点音符をきざみつつ
何を探しているのだろうか。
ひらひらと来てはまたひらひらと、翅の休まらぬまま飛ぶばかり。
振幅が大きいというわけでもなく、優雅なリズムを刻みながら上下に揺れ動くさまはまるで五線譜に音符を落としてゆくようである。
柚子の葉がもう少し成長して、後世を託すに足るまでになれば翅をやすめることがあろうか。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
夏蝶の付点音符をきざみつつ
何を探しているのだろうか。
ひらひらと来てはまたひらひらと、翅の休まらぬまま飛ぶばかり。
振幅が大きいというわけでもなく、優雅なリズムを刻みながら上下に揺れ動くさまはまるで五線譜に音符を落としてゆくようである。
柚子の葉がもう少し成長して、後世を託すに足るまでになれば翅をやすめることがあろうか。
吹くからに虞美人草のしなりやう
風が吹く日が続いている。
ポピーの種がどこからか飛んできたようで、庭で風に吹かれている。
あの細い茎が今にも折れそうだが、これが簡単には折れずしなやかに風を受け流すのである。
四面楚歌のうちに項羽が嘆いた歌で知られるあの虞美人が自死してこの花に化したとか。言われてみれば、一見頼りなさそうでいて芯の強い花なのかもしれない。
孵るだに土遁の術の子蟷螂
今朝の水栓には生まれたばかりのカマキリが張り付いていた。
体長1センチにも満たぬのに、これまたミリに満たない細い体の動きは敏捷である。
人の気配を察するや、栓の裏側に身を隠し隙あらば逃げようとする構え。
全身の神経をこちらに向けているさまはもうカマキリの本領そのものである。
じりじりと距離をあけながら逃げ道を探るのであった。
これが、あとひと月もすればいろいろ湧いてくる虫を餌にしていい若者に成長していることだろう。
水栓の排水口の蟻の列
蟻がうろつく季節となった。
最近はやたら足が速いというか、せわしなく動く蟻が目立って増えてきたようだ。これも外来のものだろうか。
憎たらしくて、水栓の水をひねったら何匹かが排水口に吸い込まれていった。
戸を放ち簡易郵便局薄暑
ドアを開けたままで風が出入りしている。
中に入ると窓口にはビニール仕切り。
三密防止だろうが、時勢である。
本局に行くことを考えれば、田舎の小さな局のほうが客も少なく幾分ましである。
そう言えば、宅配便営業所でも受付は戸外でやっている。
こうした事務を外でやってもちっとも苦にならない季節到来である。
一人っ子に空ありあまる鯉幟
宣伝になりますが、「夏雲」というシステムがあります。
ネット句会と掲示板をセットした仕組みで、大変応用範囲が広く、コロナ禍でリアル句会がまったく開かれなくて句会の楽しみを奪われている人たちにとっては福音のシステムです。
気がついたのは、句を詠むことはどこでもできるのですが、句会の醍醐味というか利点というか、それは選句して披講するその緊張感にあると再認識したことです。
やはり、俳句は詠んで選んでこそ俳筋力が鍛えられます。
平群川の土手に泳いでいるたくさんの鯉幟のしたで、今年は三々五々家族連れが見られ、今年はまた竿の数が増えたかなとか、子供の鯉の数は意外に多いななどと見ているうちに、新興宅地のお宅から可愛い鯉幟が泳いでいる光景とが対照的にみえてきたのを詠んだのが掲句です。
小さな鯉が広い空を独り占めしてゆうゆうと泳いでいる。いっけん、孤独かと思わせるが、実は将来大きくなってさらに悠々と泳げる未来、余地が待ってるんだという思いも含んでいます。
三つ目は半分こして柏餅
スーパーで売ってるのは少し小さいような気がする。
なるほど、葉を広げればこれは明らかに柏のものではない。ひとまわりも二回りも小さいのだ。
だからだろうか、一個食べただけでは何となくものたらず二個目に手が動いてしまう。
で、五個入りのパックの餅の最後は二人で割っていただくことになるのだ。