The last leaf

本坊の一葉残れる紅葉かな

今日は久しぶりに随分歩いた。

十二月恒例の奈良町吟行は、興福寺を経て浮見堂で鴨、かいつぶりを観察。ここで一時間費やしてUターンし奈良町を下る。JR奈良駅近くの会場まで、万歩計にしたら1万はおそらく歩いたろう。
いつものように材料はいくらでも転がってはいるが、なかなか句の形にはなってこずイライラは募るばかり、会場についても苦吟悶々して締め切り時間ギリギリの投句。

幸いにも評を頂いたもののうちの一つが掲句である。
吟行とはいえ、今日は必ず一つは「冬紅葉」を詠もうと自分に課していて、通りかかった興福寺本坊とある意外に小さな坊に見つけたものである。
しかも、桜古木の文字通り「最後の一葉」で、高校の文化祭にオーヘンリーの「The last leaf」の英語劇をやったことが急に蘇ってきて、妙に去り難く一句絞り出すことができた。

馴染みの景色が

虫害のマーキングされ冬木立

虫害で見るも無惨に立ち枯れた木が並ぶ。

この数年猛威をふるっている楢枯にやられた木々を伐採する目印だと思われるが、葉が落ちて見通しよくなった林にテープでマーキングされているのが目立つようになった。
里山によくある楢や椎の仲間だから珍しい木ではないが、これまで木の実をいっぱい降らせたりして森や林に恵みをもたらしてきたであろう大木が、軒並み被害にあって馴染みの景色がすっかり変わってしまうのを目の当たりにするのは淋しいものだ。

格好つけてらんない

烏とて命継がねば木守柿

見事な柿花火である。

熟しきった柿に集まるのはたいてい雀とか小鳥、大きくてもせいぜい鵯だが、今日は珍しく貪るように烏が群れている。
考えてみれば雑食性の烏だから、べつに柿の実を食べていても全然不思議ではないのだが、何となく違和感というか、似合わないような感じを受けた。
広い公園を我が物顔に威張ってる烏だって、やはり命を継ぐためには格好つけずに食べられるものなら何でも口にするのだ。

端境

鹿寄せに客の寄り来る古都師走

今は恒例となった年末の飛火野の鹿寄せが始まった。

師走ともなると観光の雑踏も一段落するせいか、集客の目玉にしようと春日参道脇で、ホルンに集まってきた鹿たちに団栗をふるまうのだ。
大仏殿は相変わらずの人混みだが、寒くなると、あの広大な奈良公園を横切って春日の方まで行こうと思う人も少なくなるのではないだろうか。現に、筆者自身もそうであり、何かイベントでもないかぎり近鉄奈良駅から20分以上もかけてあのだらだら坂を行く気にはなかなかなれないものだ。
今は御造替関連イベントもだいたい終わったことでもあり、中旬のおん祭までの期間を狙って鹿寄せは続く。

「のぞみ」出現以来

出張も日帰りとなり十二月

十二月は出張といっても相手も忙しい。

打ち合わせが終わっても、では次の席で、とは簡単にいかず日帰りとなるケースも多い。
特に、「のぞみ」とやらが出てきてからがいけない。
東京から近畿圏ならば日帰りは当たり前となってしまったので、せわしくていけない。また、駅弁など食べてなど行き帰りの旅程にともなう楽しみも、携帯パソコンに奪われて味気もなくなった。

出張から社戻りなんぞあろうものなら最悪だ。

綿虫日和

風鎮の杜のざわめき神迎

十一月も末。

龍田大社まで足を伸ばしてみたが、終日曇りで風もなく、まさに綿虫日和。
案の定、行くところ曲がるところ、どこでもふわふわと綿虫が泳ぐように浮いている。
人の目の高さを飛ぶせいか、ぶつかりそうになるが、目纏のように目に入ることはない。

龍田大社の創建は崇神で、天武が始めたという七月の風鎮際の手花火でも知られている。
龍田越えで難波から帰ってきた虫麻呂が後から来る主人のために、まだ桜が散らないよう、風鎮めの祭をしようという長歌にも詠われており、その万葉歌碑が舞殿の横に建立されていた。まだ日が浅い感じがしたが、広く取った敷地にはツツジの返り花も。

紅葉もいよいよ終盤となってきたが、さすが龍田さんのことだけはある。
残り紅葉には濁りも少なく、何とも言えない気品さえ感じることができた。

余念なく

初霜や園児のママの立ち話
初霜に始まる晴レの日でありし
初霜や喪中葉書の日々届き

朝八時前つぎつぎと親子がやって来る。

更地の隣接地前が幼稚園バスの停留所。新団地のせいか子供が多く、とりどりの色をした幼稚園バスが行き交っている。隣りに停まるのはその一つで、舗道あふれんばかりに賑やかになる。
子供たちを見送ったあともママたちは立ち話に余念がない。初霜のおいたところにいることなどまるで眼中にないように。

予報によれば明朝は2度。初霜が見られるかもと言う。