落差

息吸うてすうて不発の嚔かな

うっかりうたた寝がきいたのか。

くしゃみが出そうになるのだが、息を何度も吸うだけで出そうで出ない。
大声を出してようやくケリとなったが、これもよくあることだ。
予報があたり今日は冷たい雨である。体を動かさないともう一枚重ねたくなるような日中である。
明日朝は十度以下に一気に冷え込む予報も出て、ここ数日との落差にやれやれと思うばかり。
夏から一気に真冬になる勘定になりそうである。

興味津々

枯草の束をおざぶのおやつかな

枯草ロールが匂いたつ。

河川敷の草を刈ってこれを、まるで牧場のようなロールにして無料配布する川がある。国土省管轄の一級河川からは大量の草が出るが、これを農家、酪農家はじめとした業務用にトラックで運び出したりするが、個人でも菜園の草堆肥などの需要がある。
春から夏の間に伸びた草を完全に乾かして、しっかり固めたうえで白いポリエチレンのテープでがんじがらめに巻いてあるので、乗用車に乗るくらい小さなロールでも重さ二十キロくらいありそうだ。
もらってきてあるのを菜園の隅っこに摘んであるので、野良の休憩の腰掛けにするのに具合がいい。
今日はその一巻きを畝に拡げるためにテープをほどいてみたら、上手い具合に発酵が進んでいて甘酸っぱい乳酸菌の匂いが辺りに広がった。
これを一冬畝の上に寝かせてさらに発酵をうながすと、夏野菜の植え付け頃にはほどよく腐熟していい自然の堆肥として安全な肥料になることが期待できる。
通りがかりの菜園仲間からは一体何をやるのかと興味津々の眼で見られているが、なんとかうまくいくように願いたいものである。

小夏日和

冬耕やときに望まぬ殺生し

来年春に備えて新しい畝を起こした。

スコップや鍬を土に食い込ませれば、可哀想にもミミズがのたうち回ったり、冬眠に入ったばかりと思われる大きな蛙を起こしてしまったり。
そのたびにごめんね、ごめんねと誤る。
止むを得ない殺生とは言え、人の営みというのはときに自然の循環を断ちきらねば成り立たないところがあって、SDGsを達成するにも人はまず自然の前には謙虚であることが必要要件となる。
耕しによって半年先の成果をいただくにも、微少な菌はじめ虫や蛙などの助けが必要なのは言うまでもなく、畝にしゃがんではただぼうっとしている時間がいとおしくてならない。
ところで、昨日が立冬だとばかり思っていたが、今日の間違いだった。
しかし冬とはいえ今日も日中は暖かい。高気圧が真上にある状態だから小春日和の典型のような日であるが、25度を越えるようなところでは小夏日和と言うのが正しいか。

予測不能

冬立つや嵐寄せ来る朝まだき

雷をともなった強い雨音に目が覚めた。

あれは何時ごろだったろうか。ふたたび目が覚めた朝にはもう雨も雷も去ったあと。
昨日は降ったり止んだりの日で、寝る頃にはもう止んだかと思っていたのだが。
今日が立冬だと聞かされても、暖かい日がつづいているので実感はあまりわかない。なにしろ外でも長袖一枚ですむくらいの陽気なのである。
いずれ冬らしい日が来るのだろうが、来たら来たでまた寒い。体の負担を考えると、このちょうどいい暖かさがつづくのがいいのだが、そうもいかない。温暖化というのは予想もつかない気候条件を産む。悩ましい気象である。

季節外れ

鼻をつく雨のいきれの暮の秋

やたら生溫かい匂いがする。

この時期にすれば場違いの暖かい雨である。十一月そうそう季節外れの陽気がつづき、そのフィナーレが今日の雨だという。
明日からは徐々に気温が下がると言うし、気温の乱高下にはたして体がついていけるかどうか。
ここ数日の暖かさで予定は順調に進んだが、これからは風やお日さま、気温と相談して進めることが多くなるに違いない。
ともすればズルを決め込もうとする自らに鞭打ってたゆまずにリズムをきざみたいと思う。

穭田に

屑藁に鳩群れ落ちて冬近し

最近田の近くで鳩の群をよく見るようになった。

今日も電線の鳩たちを見ていると、二三羽の先兵がまず田に降りたって屑藁に嘴を突っ込む。安全とみた他のものもつづいて降りたってくる。
刈田は穭穂の緑が目立つようになっていよいよ秋の深まりの感を濃くしてきた。
鳩たちも冬に備えて落穂を探っているのであろう。ひと月もすれば野は枯れ餌を得るのも難しかろう。
鳩たちは秋の一と日を急いでいるのである。

裸眼

古書匂ふ十一月の馬鹿陽気

五十年ぶりにペーパーバックを手に入れた。

驚いたことに細かい字が裸眼でまだ読める。その日のコンディションによって差はあろうが。
初版1944年の短編集で、ページ数にして470ほど。ペーパーバックとしては厚い方だろう。
入手したのは何版目か知らないが、かなり古いものと思われる。
高校時代にこうしたペーパーバック小説を読みあさったものだが、文字の大きさはその当座のものと同じだろう。辞書を引きながらせまい行間に日本語訳を書き込みながらよくも読んだものだと感心する。
さすがにもうこの歳ではそんな芸当はできないし、なにしろ別に知らない単語があっても訳す必要もない。どうしても意味が取れなければカシオの翻訳機で確認するだけだ。いまさら語彙を増やさなければという切迫感もないわけだし。
ランダムにページをたぐって斜め読みしてみたが、一ページくらいでは疲れないのを知って何だか元気がでてきた。短編だから、いくつかは苦痛なくこなせるという勇気も沸いてきた。
どのページを開いても古本独特の匂ひ。いいものである。