即吟ならず

新松子出雲駅伝ひた走る

体育の日に行われる。

三大学生マラソンの一つ。参道の松並木が続く出雲大社前をスタートしてメインストリート神門通りを駆け抜け、市内一周するコース。秋に彩られたコースには、大社の松をはじめ、出雲平野の屋敷林ともいうべき防風目的の築地松も見られる。
今年は青山学院大学が連覇。この勢いで箱根の連覇もなるか。

斑鳩・法隆寺に足を伸ばしてみた。
兼題にいただいた「新松子(しんちぢり)」をこの目で確かめるためである。

国道から南大門にかけての500メートルほどの立派な参道は、これまた堂々とした松並木である。高さ20メートルくらいにまで伸びた枝は、流れる秋の雲を背景に青松毬をびっしりつけていた。南大門を入り、阿吽の金剛力士像が守る西院中門の前にくると、ここもまた堂々とした松が頭上を覆う。格式の高い寺社には松がよく似合うようで、東大寺でも南大門から中門にかけては立派な松の通りを歩く。大仏殿に入るには中門を回廊に沿って左手(西側)の入り口に回らなければならないのは、法隆寺でも全く同じで金堂へは回廊の西側から入らなくてはならない。
こんな感じを句に詠みたかったが、なかなか即吟とはいかない。時間をかけて醸せば、何かしら形になってくるのかもしれないのを待つことにしよう。

新酒

車座の一輪臥して濁酒

どぶろくとも言う。

独りで楽しむ場合もあるだろうし、気心のしれた仲間にふるまうこともあろう。
車座になって丼で回し飲みしているうちに、一人が寝てしまったというシーンである。

今は、基準を満たせば「どぶろく」の製造許可がとれるので、各地に濁酒が大手をふって売られているようではある。

海へ下る

すべからく腹から食うて下り鮎
落鮎の焼きに始まり腹子飯

落鮎は「錆鮎」とも言うとおり、川を下るにつれて赤黒く痩せてくる。

これがまだ上流の方にいてこれから下ろうかという頃合いのやつは、脂ものってどんな料理にでも合う。
塩焼きはもちろん、煮付けにもいいし、出汁をだっぷりきかせた鮎飯などは最高の贅沢というものだろう。
どんな料理にせよ、この時期の鮎は腹からいただくのが王道。ぱんぱんに張った卵、たくさんの命をいただくのだから感謝の気持ちも込めて。

ことり塚のある庭

小式部の葉先ぷるぷる風の道

小式部の実がちょうどいい頃合いだ。

風が全く感じられない茶花の庭園には、秋の七草であるフジバカマも薄紫の花をびっしりつけているが、ただその脇にある小式部の葉先だけがこそりとゆれている。どうやらそこが庭でのわずかな風の通り道になっているらしい。小さな実をつけた枝そのものはぴくりともしないのにだ。
目を転じると、「ことり塚」をとりまく一画は白秋海棠の花がほとんど散りかけて、三枚の羽のような実が重たげにぶら下がっている。替わって、白の秋明菊の蕾が開き始めていた。
吉城園のことり塚というのは、全国にもあまり例がなく大変珍しいので、管理人さんに聞いてみたところ、個人所有の頃この庭で鳥の鳴き合わせがさかんに行われ、亡くなった鳥たちの供養のために建てたものだという。鶯とかメジロなどでも鳴かせたのだろうか。
今は塚の上を大きな木が覆い、地続きの東大寺や隣の依水園からやって来る小鳥たちの楽園でもあろうか。

陶淵明

南山とは吉野のことよ菊日和

「采菊東籬下 悠然見南山」

高校の教科書で出てきましたね。
仕官などまっぴらと隠棲生活。南に名峰を眺め、籬に菊が咲けばこれを採り、酒あれば言うことなし。

世俗から遠く離れたような身に重ねて。

ガラス戸のえくぼ

波打てる玻璃に蟻つく秋日かな
大正の玻璃に蟻つく秋日和

再度、吉城園の話。

受付を通ると最初に顔を見せるのは池の庭園と、その西にあって東に向かうように建つ本座敷からは池やその背後の築山がながめられ、そしてその築山の向こうに若草山、三笠山を借景とした贅沢な構えになっている。
この本座敷の三面は、濡縁で庭園につながり、それぞれ大きなガラス戸の内に広縁があって光をあまねく取り入れるような設えになっている。目玉はガラス戸で、これがすべて手作りの一枚ガラスなのだ。
大正の頃の作だと聞いたが、まずガラスの円筒をつくり、それを縦に割いて、再び接合して作るのだという。大変手のかかったものだが、当然どのガラスも均質ではなくて縦の波があり一つとして同じものはない。なかには製作の過程で生じた「えくぼ」みたいなものが所々あってさらに微妙な変化をつけている。
磨き上げられたガラスとはいえ、わずかに波打った表面は虫でもすべり落ちることなく大きな黒蟻が這い登っていた。

ガラス戸の内は外から丸見えだが、ガラスの微妙な凹凸により見る角度によって、これまた微妙に揺れて透ける。
庇は深いが、この時期ともなると濡れ縁はもちろん、中の広縁にまで木洩れ日が届くようになっていて、その影にもまた微妙な揺れが生じているようだ。

蟻は夏の季語だが、この場合は季重なりではないだろう。

芋の露 習作

たまゆらの風に耐へては芋の露
芋の露たまゆら風に耐へてゐし

芋の葉にのった露がころころ、あっちゆきこっちゆき。

落ちそうで落ちそうもない様子を詠んでみたもの。
「たまゆら耐へる」というのは、雰囲気としては、すでに類句があるかもしれませんが、自分としてはまあまあできたとは思っています。
前者は、たまに吹く程度の少々の風には葉からこぼれることなく踏ん張っている様子を、後者では、しばらくは耐えていたがやっぱり零れてしまったという様子を織り込んでみました。
どうでしょうか、そんな風には見えるでしょうか?