雨が似合う

紫陽花の苑に湿れる句帖かな

今日も紫陽花。

やはり、この嫌われる湿りがちな季節を逆手にとって、ひときわ似合う花は外にないからだ。
庭の片隅の紫陽花も今年は殊の外いい色を出しているので、切りとって花瓶に盛った。

紫陽花苑を歩いていると服の濡れるのにも気づかないことがある。まして、吟行というのは句帖を片手に握りしめているので、いつの間にか天露を含んでいたりもするのだ。
それで、いい句が授かれば問題はないのだが。

UVに注意

大鞠の項垂る午後の四葩かな

梅雨晴れ間の日差しの強いこと。

六月ってこんなに日差し強かったかなあと訝いたくなるような紫外線である。
これでは動物はおろか植物だってつらいだろう。
げんに、紫陽花などは水揚げが間に合わないせいだろうか、葉も花もしんなりしょげかえっている。

夕方になるとまたいつもの姿に戻るので、項垂れているからといって慌てて水やりすることはないのだが。

尾根道の棚田

走り根の畝と見えたる椎落葉

丘陵の尾根を巡る道に出た。

人踏跡がついて、走り根が浮き彫りになっているが、そのその隙を埋めて椎落ち葉が積もっている。まるで、棚田に落ち葉の水が張ったようにみえて、走り根はその畝のようにも見える。
立ち止まってしばらく眺めていたいのだが、そうもしておれない。止まれば藪蚊の襲来だ。

落ち葉に足をとられるぬよう行くしかない。

今年最高気温の日

泥池に亀の子浮かぶ亭午かな

散歩するにも暑い季節になった。

馬見丘陵は近いし平坦なのがいいが、墳丘ばかりの公園なので日陰が少ない。
そこで、今年一番暑い日となった今日は、郡山の民族博物館公園を一周してみることにした。
公園は矢田丘陵の裾に広がっており、周囲は開発されて住宅地になっているところもあるが、里山の景色がまだまだ残されている。
形は昔のままだったが泥水に満たされて到底利用されているとは見えない用水池のところまでくると、泥水に亀が首を出して浮いている。牛蛙もこの池の何処かでときどき鳴いている。

閻魔堂特別開扉

閻王や絵解の刀自の比丘尼めき

今月限りの特別開帳の閻魔堂では五分ほどの解説がついた。

お賽銭を投げる間もないほど、立て板に水のごとく老婆の解説が始まったかと思うとこれがなかなか終わらない。平板なトーンのせいか、中身にもなかなかついて行けずじまいのありさまで、とうとう後半はほとんどの話が空の上へ飛んで行く。
もう少しじっくりと閻魔さんを拝見したかったところ、早々と退散することにした。

かつてこの国には「絵解比丘尼」という尼僧がいて、熊野勧進のため地獄・極楽など六道の絵解きをしながら歌や物乞いをして諸国を歩いたそうである。これが、のちには遊女同然となり売色を業とするようになったとも。閻魔堂の絵解き刀自にはそのような妖艶な趣はなく、むしろ能面のように無表情だったが、長くこの閻魔堂をお守りしてきた年輪の趣だけははっきりと感じ取れるのであった。

誰がものにするか

遠鳴けば近けたたまし雨蛙

紫陽花苑に入ると雨粒が落ち始めてきた。

順路は青竹の垣にそって行くわけだが、鎌倉・明月院の階段よりずっと狭くて腰や袖の辺りが衣服を濡らす。順路を設けた理由はどうやらそんなことにあるらしいとは吟行が終わってから気づいたことだ。
この順路は山の中腹を巡るように設えてあるが、ちょうどいい具合の谷筋に入ると、石の階段は滑りやすく足下ばかり見る紫陽花狩りとなった。
それでも、下から上ってくる順路に目を落とすと、とりどりの色の傘が紫陽花に見え隠れしながら上ってくるのが見える。こういう場合、地味な傘というのは絵にならなくて、やはり思い切り派手なものを選んで持ってくるほうが似合うと思う。しばらくそういう構図を待ったが、なかなかチャンスは訪れず吟行の途中でもありあきらめることにした。
また、この谷には大きな山法師の木があって、おりしもの満開は辺りを灯すようにも思えた。

紫陽花苑の山法師

順路巡りも一段落し、さてどうしたもんじゃろうの〜う、なんて句作の構想に耽っていると、谷筋の向こう側から蛙の声が聞こえてくる。聞こえたかと思ったら、すぐ目の前の辺りで大きな声で応えるものがいて。そうすると、まるで示し合わせたかのように、あちらこちらから代わり番こに輪唱が始まって、一同目を合わせて、「やるか?」という顔である。
ここで「やるか」というのは、これを句にするということであり、さても午後の披講が楽しみとなった。

舌仕舞いつつ

下闇に暗む眼の閻魔堂

天武天皇ゆかりの矢田寺へ。

山門から200余の急な石段を登ってようやく諸堂にたどり着く。
着くやいなや、ホトトギスが迎えてくれるは、開花したばかりの沙羅、泰山木の花、そして一万本の紫陽花。
紫陽花の咲き満つ谷筋に入ると、折から降り出した雨に紫陽花たちも生気を取り戻したかのようだ。
後ろに控える丘陵をめぐれば西国八十八カ所を模した遍路道もある。行程1時間半だというので、八十八番目、すなわち結願の薬師如来さんだけお参りして御利益を願うという厚かましさ。

この六月だけ開帳されるという閻魔大王さんの前では、脇侍もまじえたあの世の裁判を詳しく解説していただく、いわば絵解サービスもあって、ひたすら腰を低くして聞くばかり。閻王の黒い眼の底知れなさに思わず身震いするのであった。