かつてシルクロード

梅雨雲の暗峠颪めく

降ったり止んだりの日が続く。

生駒山はたいして高くもない山だがまわりにもそれ以上高い山がないので、しばしば生駒山を境に天気の様子が異なることが分かるときがある。たとえば、生駒山を吹く風はたいていが大阪の方からで、とくに時雨のときなどが顕著だが雨雲や雪雲は決まって大阪の方からやってくる。そのとき時雨雲が生駒を越えるさまがよく観察でき、今頃はどの辺りが降っているのか、あるいはいつ頃こっちに降りそうかなどがよく分かるのだ。
昨日などは夕方になって梅雨の雨が上がり、生駒頂上の何本かあるテレビ塔が全部はっきり見えるのに、生駒山系の鞍部が一段低くなった暗峠の辺りを低い雲が大阪からせり上がるように流れてきては滑り落ちてくる。さながら暗颪が雲状となった形で、峠の辺りだけがまだ雨に降られている。この雲のスライドしてゆくさまはショーとしても十分楽しめる光景であった。

この暗峠は古代より生駒を越えて大和と難波と結ぶ重要な峠で、今も立派な国道である。ただあまりに勾配がきつく狭いので酷道とも言われ、自転車の激坂チャレンジの舞台として知る人ぞ知るコースになっている。
南へいくと十三峠、これは業平が高安の女のもとに通ったとして知られるが、幹線ではない。ストレートの近道だから利用したにすぎないのである。
幹線という視点で言うとあとは竜田越であろうか。ほかにもいくつかの峠があるが所謂シルクロードではない。

蓮取り行事

心経を捧げ蓮華の池となす

今日七夕は大和高田市で大変珍しい行事がある。

奈良県の無形民俗文化財にも指定された奥田の蓮取り行事のことだが、詳しくはサイトを見ていただくとして、一言で言うと吉野金峯山寺の蓮華会に供される蓮を、開祖である役小角の生誕地とされる地で摘み取る行事である。

蓮華会の供華摘むを見し蓮の池

なんと言っても圧巻は、この奥田という地区に住む人たちの手で大切に育てられてきた蓮の見事さである。雨が大変だったので写真には撮ってきてないので紹介できないのは残念だが、30メートルX40メートルくらいの一画に今まで見たことのないほどの花や蕾の数。

供華にせんと刈りて蓮のあまりある

その数おそらく千をはるかに超え万に届くかという見事な蓮池の中に、法螺を吹き鳴らしつつ吉野の行者が舟で分け入って108本の蓮花を摘むのである。

蓮花はこの日金峯山寺に献じられたのち、さらに大峰頂上にまで届けられるそうな。
スケールの大きく、古式もゆかしい行事の一端に触れ、梅雨の雨にそぼ濡れるのもしばし忘れるほどだった。

かわいいトラ

虎尾草の水辺に群れるひとところ

田んぼのすみっこを利用したビオトープ風庭である。

個人で作られたようで、流れに沿って季節の花がいろいろ植えられている。谷津の行き止まりの道のため、通りがかる人も少ないが、ふだんこの辺りを散歩する人にとってはやすらぎのスペースとも言えるだろう。
虎尾草(とらのお)というのは文字通り、花穂が尾のように先細りして、その細い先端がうなだれるようにして咲く姿を愛でる花である。
特別に水辺が好きというわけではないだろうが、ビオトープの一画にまとめて植えてあったのが珍しくて。

盆地の用水

青田風御陵のダムの満々と
陵のダムを恃みの青田かな
陵の水いただきて田の青む

田植えの遅かった奈良盆地の田がようやく青々としてきた。

先日まで鏡のように山や空を映していた景色が見られなくなったし、田の水面すらよく見えなくなった。
陵から取水した用水路にはさかんに水が走っていて、どのように田を流れゆくのかは定かではないが、たしかに田はうるおっているようだ。
雨の少ない奈良盆地は溜め池が多い。陵の壕だって貴重な水資源なのだ。

今年の盆地の降水はまずまず。あとは、この梅雨が予定通りあがってお日様の恵みを待つばかり。

古代に触れる

青鷺の森となりける御陵かな

全長220メートルを超える堂々とした御陵である。

第11代垂仁天皇陵は、外壕の中に田道間守の墓とされる小島があることが特徴だ。
水をいっぱいに湛えた壕には餌が多いらしく、カイツブリや川鵜が次々に水もぐったりしている。また、墳丘に繁った木は青鷺のコロニーになっているようで、何羽かが木の上にまるで飾り付けのようにじっとたたずんでいるのが見える。

この垂仁天皇というのは、皇后の亡くなったとき殉死をやめさせ代わりに埴輪を作らせたり、皇女の倭姫に天照大神の祭祀を命じたりしたとされるが、さらに相撲の発祥になったと伝えられる野見宿禰と当麻蹴速の闘いもこの天皇の前で行われている。
宮内庁による陵の名は「菅原伏見東陵」ということから分かるとおり、ここら一帯は後世に土師氏の支流・菅原氏の本貫地となっており、あの道真も当地で生まれたとされている。

ちょっと足を伸ばしただけで、古代に触れられるのも奈良らしくていい。

飛行機の神様

翡翠の谷津の木道かすめけり

県立民俗博物館は矢田丘陵の谷津を形成した麓にある。

博物館は県内の昔からの生活や風土を紹介する展示物があって、盆地の暮らし、山の暮らし、難波との物資交流などなまざまな歴史を知ることができるが、広い敷地には他に古い民家、商家を移築したものや梅園などもあって散歩に出かけてくる人も多い。
谷津となった部分には池や花菖蒲園があり、その周囲の森を巡る木道は木陰が心地よい。この池にはカイツブリのほかカワセミも棲みついているらしく、木道を歩いていたらすぐ近くを特徴ある鳴き声とともに碧い鳥がかすめ飛んだ。
谷津を流れる小川や湿地にひそむ餌を狙っているようだ。

昨日興福院で半夏生を見た返りに立ち寄ったのだが、よくここに来るという人に聞いたら、すぐ近くの矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)の近くにビオトープみたいなものがあるらしく、そこでは半夏生も咲いてるよと教えてくれた。
この神社は神話から飛行機の神様として知られており、以前から一度行こうと思っていたところなので、近いうちに行ってみようと思った。

尼寺の静寂と

半夏生庵主の住まひ給へりて
半夏生尼寺の壁に映えにけり
半夏生葉先の化粧(けわい)残したる

今日は夏至から11日目、半夏生である。

同名の草花・半夏生を調べてみると奈良県では準絶滅危惧種に指定されているとのこと。
三重県境の御杖村の棚田を利用した岡田の谷の半夏生園という景観資産があるが、いかんせん遠いので近くでないか調べると、果たして奈良市内の興福院(こんぶいん)という尼寺の門前にあるという。早速訪ねてみると今がちょうど盛りで、白い穂が伸びて小さな花をつけている。この花を有名にしたのは、どちらかと言えばこの花よりも葉で、上から数枚の表面が根元からだんだん白く変色してついには前面真っ白になることから「化粧花」とも呼ばれる。
すぐ近くにはいっこうに鳴き止まない鶯、そして半夏生の群れが尼寺の白壁と相呼応しているかのようだった。

興福院の半夏生

7,8月は興福院は非公開で門は閉ざされていて鶯の他は何も聞こえない静寂の中にあるが、門前の池には立ち入ることができる。
もうずいぶんな人が見物に来たと見えて、池の周囲は草の踏みしだかれた跡がおびただしい。中には足許に注意を払わなかった人もいたらしく、踏まれたのであろう捩花があわれな姿をさらしていた。