視線を横切る

紋黃蝶折れ線グラフ描くかに

ときどき蝶が飛んできては猫たちの興味を引いている。

猫だけではなく食卓にいる人間たちもつられて、目は蝶の動きを追っている。だが、紋白蝶や黄蝶の動きは早く、窓の左から右へ、右から左へ、まるで視線を横切るようにあっという間に消えてゆく。

駘蕩の気分

春風や雲たゆみなく駘蕩と

やっとこの時期の天気になった。

空は青く、白い雲がまるで煙突から吐き出された煙のように次々と南から湧いてくる。

春の大潮

春潮の根掛かり多き沈(しも)りかな

「沈り」とは沈み根のことである。

春の潮は満ち引きの差が大きいので、干潮時普段は見えない岩礁がこのときだけは頭を出すことがある。複雑な岩礁帯こそ魚が集まるポイントなので、その間を縫って仕掛けを投入するのだが、スペースがどうしても狭められるので「根掛かり」と言って仕掛けが岩礁に引っかかってしまう確率がどうしても高くなる。
無理して干潮時に釣らずとも満潮時にすればいいじゃないかというご指摘はごもっともだが、満潮時は満潮時で問題も多い。春の大潮時は気がつかずにいると、岩礁にひとり取り残されてしまうなどの危険性もあるのだ。

童心に

しゃぼん玉はしゃぎゐる声塀越しに
築地塀を越えて消えゆくしゃぼん玉

今どきのシャボン玉セットというのはよく飛ぶようだ。

立派な築地塀のある邸宅から、小さな子供たちのにぎやかな声とともにシャボン玉が泡のように次々と越えてくる。シャボン玉は風に乗って50メートル以上も飛んで、東大寺の境内にまで達している。
観光客もその飛んでくる方向をしきりに眺めては、互いに目を合わせて微笑み返し。
国を問わず、年齢を問わずシャボン玉というのは人の心をひきつけるものらしい。

和む音

鶯のほどよき距離のをちこちに

縄張りを張り合ってる声じゃないようだ。

適度な距離と時間ををおいて代わる代わるに鶯が啼いている。切羽詰まった感じではないので、聞いているこちらを和ませてくれるのがいい。
久しぶりにのんびりとした一日だった。

感性

さきがけて松の緑の伸び初める

この時期は松の芽がいっぱいついている。

なかには、その内の一つが伸び始めているのもあるようだ。まだ2,3センチほどだが、これが10センチくらいに伸びるとやがて雌花をつけ、秋には松毬となる。
調べてみると、松にちなむ季題、季語は多く、「松の花」、「若緑」(傍題に初緑、松の緑、緑立つ、若松、松の蘂、松の芯、緑摘む)は春、夏に「松落葉」、秋には「新松子(しんちじり。傍題に青松かさ)」「松手入」、冬になると「門松立つ」、新年の「門松(傍題に松飾、竹飾)」「松の内(傍題に注連の内)」「松納(傍題に松取る、門松取る)」「松過」など。

新緑に対して若緑を松の代名詞とする日本人の感性。この繊細さはどうだ。

恋の季節

囀や烏は恋の調子にて

森を歩けば鳥の声が賑やかだ。

中には、思いがけない聲も混じっているから驚く。烏の求愛だ。普段のだみ声とは似ても似つかぬ、何とも甘えた声はどうだ。
歩きながら、うまくやれよとエールを送っておいた。