まずは雌花から

苦瓜の棚に雄花の出初めたる

西日除けに苦瓜のグリーンに挑戦している。

まだまだ窓の高さにまでは蔓が登ってきてないが、ここ数日ようやく花が咲くようになった。瓜の仲間だろうから花にも雄雌の区別はあるんだろうと見るけれど、茎からひょろひょろ伸びたものにさらに葉がついて、その先にようやく黄色い花をつけているが、どこにも実に結びつくようなしるしはなさそうである。
カボチャやキュウリと同じく、最初はやはり雌花はつかないものと思える。蔓が伸びて窓を覆い始めるような高さになった頃まで待つことになるんだろう。

苦瓜、正しくは蔓茘枝(つるれいし)は秋の季語。その花は夏とさせていただいた。

橙色の花

萱草の花の岬を波洗ふ
萱草の花に埋るる流人島
絶海の流人の嘆き忘憂草
岩をかむ波のとよもし忘憂草
絶海の波涛くだけて忘憂草
萱草の花のとよもし海なだる
さう言へばかつて庭には忘草
忘憂草生ひける庭のなつかしき

忘草は萱草(かんぞう)の古名である。

忘れな草とは似て非なるもので、万葉の時代から詠み込まれていて、憂きことを忘れさせてくれる草、という意味で使われてきたらしい。

かつては拙宅の庭にいつの間にか自生していたが、またいつの間にか消えてなくなってしまっていたことを思い出す。無くなった後しばらく気がつかないというのだから、ずいぶん間抜けな話で、忘れ去られていた萱草がかわいそうというものである。

巻き巻き

もじずりの三寸五分に立ちにけり
もじずりの低きにありて宙をもむ
もじずりの丈低けれど宙をもむ
予期せざるところに飛びしねじり花
ここかしこ文字摺草の飛びにけり
文字摺の花咲かざれば気づくなし

東京から持ってきた捩花に元気がない。

去年までは花壇に降ろしていたのがかろうじて花をつけてくれていたのに、今年は花茎も伸ばさずそのまま枯れてしまいそうで諦めるしかないのかとがっかりしていた。
文字摺草は花が咲かなかればそこにあると気づかないほど地味な草だが、これでも立派にランの仲間である。草引きで随分抜かれてしまったものがあったろうが、辛うじて生き残ったものがあるとそれがいつの間にか花茎をするすると伸ばして花を咲かせるのだ。
今日発見したのも駐車場のコンクリートの狭間に窮屈そうに、しかし太くてしっかりした花茎をつけている。周りを探してみるといるいる4本も育っているのだった。

右巻き、左巻きが半ばしているという話だが、この4本はみな右巻きだった。

竹内街道

終生を近つ飛鳥の蝸牛かな
かたつむり王陵谷の外知らず
かたつむり近つ飛鳥のとき止まる
かたつむり近つ飛鳥のとき思ふ
素封家の屋敷鎖されてかたつむり
素封家の深閑としてかたつむり
素封家の木にて蝸牛の動かざる
木登りの何見るとなく蝸牛
老木にはりついたままかたつむり
悠久の匍匐前進かたつむり

竹内街道・旧山本家のかたつむり
大阪府立の近つ飛鳥博物館に行ってきた。

今月末まで「葛城氏と大和王権」の特別展があるということを知ったからだが、さらに今日は特別講演もあるということだったので楽しみにしていると行ってみて驚いた。
もともと駐車場がせまく100台程度とあったので行く前から多少不安があったのだが、何とあと1キロ以上もあるというのに道路が渋滞している。ここで車を降りて歩いて行けという。15分あまりだそうだ。ここらあたりは「一須賀古墳群」といって200基以上の古墳がある丘陵地帯で、普段はおそらく車の往来も少ない所だと思われるが、他府県から来たと思われる車も駐車していて、古代に関する関心の高さに今さら驚く。
おそらく、我々世代を中心とした知的関心を満足させようという層が大挙押しかけてきているのだろう。アキレス腱の炎症がようやく癒えかけたばかりなので、アップダウンの道は諦めて引き返すことにした。

そのまま帰宅するのも能がないと思えたので、竹内街道経由の道をたどった。二上山への大阪府側からの登山口があると聞いていたので、この目で見ておこうと考えたからだ。
登り道にさしかかって間もなく、二上の双峰が望めるところに道の駅「近つ飛鳥の里太子」があった。そして、付近の散策を始めるとすぐに竹内街道歴史博物館が見つかったのでここでしばらく時間を費やすことにした。
旧竹内街道
元に戻る形で足元の旧街道を降りて行くと、「梅鉢御陵」とも呼ばれる敏達、用明、推古、孝徳の天皇陵四基と聖徳太子廟を中心とした「磯長谷古墳群(しながだにこふんぐん)」が広がり、そこをぬけて北へ向ければ、四天王寺、難波宮への道となるという地理だ。

講演会では、仁徳天皇と葛城氏の関わりなど古代の聞きたい話はいっぱいあったのだが、この南河内を見渡す場所もまた古代を偲ぶ格好の場として、十分に関心が満たされたような気がした。

トラノオの花

拾ふとて来らざるになを実梅落つ

萩原神社梅園のしだれ梅
天神さんの境内である。

一画に梅園があって、おおかたは実梅を収穫した後に、本来は実梅が期待されてない枝垂れ梅に多くの小さな実がついていた。黄色に熟してはただ落ちてゆくようで、木の根元は放置されたままの実が転がっている。

脇には珍しい花が咲いていたので写真に撮ってみた。
オカトラノモ
オカトラノオという草らしい。
言われてみればなるほど虎の尾に見えなくもない。

灼ける

撫牛の親子腹這ふ日の盛り
撫牛の手を引っ込むる炎暑かな

今日は堺市の天神様境内での句会。

梅園の梅の実はおおかた採取されたのだろう、取り残された実がぽつぽつと落ちて黄色く変色しているのが見られる。
会場に向かう前に天神様に手を合わせたあと、石や青銅の撫で牛に触れてみると、これが大変熱い。ここ2,3日梅雨の晴れ間が続いていて、今日などは気温もあがっているせいだろう。形だけのお詣りにとどめて失礼することにした。

竹取

竹の皮脱ぐ用意なる捲れかな
めくれたる程にて竹の皮を脱ぐ
竹の皮脱ぐにしばしの未練あり

真竹の若竹
生駒市高山地区は茶筅の全国生産90%をしめるという。

生駒市が運営する高山竹林園に行ってその歴史を知ることができたが、室町時代に佗茶の祖といわれる村田珠光が依頼したものが、時の後土御門天皇の目に止まり、以来明治に至るまで一子相伝で伝わってきた伝統的技法に支えられているという。
明治以降になって茶道具だけでなく編み針も生産されていて、展示されていた製品はどれも精緻な技能に裏打ちされているのを実感するできだ。
金明孟宗竹

皮脱いで茶道具となる竹の里
皮脱いで金明竹や黄金竹
竹の皮脱がば佳人の宿りせよ
皮脱げば月の佳人の宿る竹
皮脱ぐや月の佳人の黄金竹

園内では、いろいろな竹の種類も見られて、珍しいものでは、金明孟宗竹といって黄金色の棹に緑の縞が入ったもの、さらに黄金竹という真竹の種類で金色しているものなどが目を引く。この金明竹はかぐや姫が眠っているのではないかと思えるくらい金色がみごとであった。