濃淡

新聞の束ね緩みて梅雨最中

今日は資源塵の日。

新聞、雑誌、段ボールなど街角の所定の場所に積み込んで回収を待つ。
しっかり縛ったつもりだが、その重さゆえか束ねる紐がゆるんでなんともバランスが悪い。
何回かに分けてかろうじて持ち込んだものの、作業員の方には苦労かけたことだろう。
折しも日本海側では梅雨終盤の豪雨が西から東へ大きな被害をもたらしながら移動している。
太平洋側は梅雨が明けたも同然の状態だが、近年は豪雨がもたらす災害地域の濃淡が激しく、明日は東北地方が過去にない規模の災害が出るかもしれないと警戒を呼びかけている。
極端な傾向にある気候の先が気になる。

夏と言えば蝉

初蝉や朝の景色の新たなる

ようやく聞いた。

遠くで蝉で鳴いている。
庭で鳴かれると鬱陶しいものだが、遠くで鳴く分にはようやく夏が來たという思いに包まれる。
自分にとってやはり蝉は夏そのものなのである。
この蒸し暑い梅雨が明ける頃には庭にも出現して、いよいよ騒がしい夏の到来となろう。
ただ、近年は油蝉を見ることはすくなく熊蝉ばかりなのが気がかりである。
子供たちが小さい頃蝉取りをしたのはほとんどみんな油蝉だったのが、今となっては懐かしい。

目の敵

杖をもて田水の沸くをかきまはす

昼間はよほどのことがないかぎり外へは出ない。

ニュースでは草取りをしていてお決まりの熱中症で救急車で運ばれたり、亡くなられたり、このところ毎日のように聞く。
たしかに今年は雨がよく降るので草の伸びが驚異的で、昔から雑草を目の敵としてきた人たちにとってはじっとしていられないのだろう。
どうしても行かなければならない時は、飲料の携行、休憩をこまかにとるのは当然として、なるべく単独にならない時間を狙うことも大事である。この時期日の盛に畑作業するひとなどいないだろうから、朝夕なら誰かがいるかもしれない。
夕方になって日中の暑さから解放されて散歩するひとがぽつぽつと増えてきた。田圃の生きものが気になるのかしきりにのぞいては杖で確かめている光景もあった。いくらか涼しい時間帯になると周りにも関心を抱くようになるものだ。

贈り贈られ

枝豆の走りの靑を届けけり

密な状態になってきたので、早めに収穫することにした。

実の入りで言えば七分の出来だが、それを割り引いても二人では食べきれない嵩がありそうだ。
そこで、いつもお世話になっている菜園仲間にもお裾分けとなる。
するとまたトマトなどのお返しがあったり。
夏野菜は今がピーク。ミニトマト、ピーマン類が冷蔵庫に収まりきれないくらい採れる。
そうなると、迷惑を承知で両隣のお家にもらっていただこうという話しになる。
帰省時のお土産などもいただくのでそのお返しという意味でもないが、それくらいしか思いつかないのである。

空気一変

夕立の戸を叩くこと二十分

来るぞ、来るぞ。

西から真っ黒な雲が近づいてくる。
町のアラートでは豪雨と出ている。
やがて家の前の電線が揺れ、雨が窓、玄関ドアを激しくたたきだす。
稲光、そして雷鳴。お決まりの夕立だが、これは北九州に甚大な被害を与えている長い前線に向かって四国の方面からやってきた雨のようだ。
夕立去って、それまでの息苦しいほどの蒸し暑さはいったい何処へ行ったのかと思う涼しさになったのはいいが、プランターや鉢ものがみななぎ倒されてその片付けもままならない。朝に持ち越しである。

落差

降りて照り照つては降りて溽暑かな

この蒸し暑さ。

耐えられず、昼には早々と冷房を入れた。
雨がざあーっと来たかと思うと、そのあとかあーっと晴れる。
そんな繰り返しで、これでもかというくらい蒸しが増してくる。
降った雨がすぐに水蒸気となって大気に放出されるのが原因だ。こういう日は一年でもそう多くはない。
だから、冷房の部屋にいる間はいいのだが外との落差がそれだけ大きく、長くはいられないのも情けない。
梅雨明け後の暑さもこたえるが、今日の暑さよりはずっとましだと思う一日である。

うそぶく

肌脱ぎてかつて自慢の胸の板

ちょっと動いただけでべたべたした汗がつきまとう。

典型的な日本の夏の暑さである。こんな辱暑と言っていい時期にやれインバウンド、アウトバウンドだと言って観光にくる外国人も驚いているのではなかろうか。
旅行などとんと縁の薄くなったこちらには近所へ出るだけで滝汗が流れて往生してしまう。
家に戻れば誰はばかることなく上半身裸になって身拭い。そうして濡れタオルを羽織ったまま気化熱という奴を肌で感じる半時間ほど。みるみる火照った体が覚めていくのを感じながら極楽、極楽。
鏡を見ればよくよく胸の筋肉も落ちて、これが老残の醜ささとうそぶくものの。