盛るということ

ブレーカー落ちて湯浴の夏の闇

昔の家ではよくブレーカーが落ちたものである。

今は十分に計算されたアンペア契約をしているので、少しくらい電力に負荷をかけたくらいでは落ちることはまずない。
実際のところを言うと、浴室の電球が切れてやや暗い入浴となっただけのことである。二個付いているランプの片方が切れただけだし、特殊な球とあって買置きもなく片肺飛行だからそのまま詠んでも句にはなるまい。
日常のことを句に詠もうとすれば、
球切れて風呂の野趣帯ぶ夏の闇
くらいと、何ともつまらない。
そこで、何とか句として形にならないかと工夫して句を盛るのである。これで、今夜のことでなく遠い昔の追憶の句ともなったのである。前句は、
ブレーカー落ちて野趣帯ぶ夏の闇
「野趣帯ぶ」と言った時点で句に間がなくなって、面白くない。そこでさらに手を加えることにした。
俳人はよく嘘をつく由縁である。
私小説と言いながらそのままでは小説にならないので、脚色を加える作家と同じである。

濁り田にて

軽二羽のけふもやすらぐ代田かな

昨日今日と軽のつがいと思われるのが畔にまったりとしている。

本来は一キロほど下った大和川にいるのだろうが、どういうわけかこんな棚田まで上がってくるのは珍しい。繁殖の時期はもう半ばを過ぎて、卵を抱くでなし雛を育てるでもなくて、この二羽の関係がちょっぴり気になるところだ。
この田は無農薬が自慢らしいので、鴨たちも動物的な勘で安心できる水場と認識しているのかもしれないが、兼業農家の田でもあるしこの週末にはもう田植えとなろう。そうなると、また帰ってくるのか帰らないのか。それも気になるところである。

半夏生明かり

半夏生映ゆる媼の畑の隅

畑の一角が半夏生に埋められている。

腰も少し曲がった翁の背丈を越すくらいに元気そうである。
いつも通る抜け道だが、今日までまさかそんなところにあるとは夢にも思わなかったので少なからず驚きである。広さにして2メートルかける5メートルくらいだから、10平米。3坪ほどが今まさに葉の半分を白くして田植時であることを教えている。
見渡せば、棚田の一番奥まったところから水が配られるようで、棚田のもう半分ほどが田植を終わっている。いつもの年に比べて二十日も早い。やはり、今年は例年になく雨に恵まれて溜池がもうあふれているのではあるまいか。
殘りの田もほとんど代掻きが終わり、早いところでは苗さえも配られて田の隅に仮植えされているところもある。この数日で見えるかぎりの棚田の田植は済んでしまうに違いない。
ところで、雑節のひとつである半夏生は夏至の11日目から七夕の日までの五日間を言い、今年は7月2日からとなる。関西では滋養ある蛸を食って英気を養う習慣があるとか。
もっとも、その蛸も昨今の高値ではパクパクとまではなかなか大変そうである。

清涼剤

ままならぬ雨の続いて落ち実梅

そろそろ採らねばと思っているうちにどんどん落ちる。

明日こそこの雨も止むらしいから、優先度をあげて朝からトライしてみようと思う。
梅ジュースだが、今朝の家人の話では酢を入れる方法もあるようである。なるほど、梅と同量の氷砂糖ではやはり大人には甘いところがあるのでいいかもしれない。風呂上がりなどはその酸味がいい清涼剤と化してくれるのではなかろうか。
それはともかく、もう採らねば量も確保できないので明日一番にやっつけることとしよう。

口汚し

葭切や権座通ひの水脈引いて

いつものZOOM句会の日。

毎回二つの兼題が出されるのだが、「葭切」という題は一句も作らなかった。というのも二つ目の「オリーブの花」に無謀にも全十句出句したからである。
オリーブの花を庭のシンボルツリーにされているお家もあるが、やはりオリーブと言えば瀬戸内、それも二十四の瞳の小豆島のイメージから離れることができない。この染みついたイメージからなんとか逃れるべく悪戦苦闘したというわけである。
結果、可もなく不可もなし。満足できる句は授からなかった。
口汚しのつもりはないが、葭切の習作である。

荒廃

雨あとの草みな伸びて茄子の花

ひと雨で景色が一変する。

庭もそうだが、耕作放棄地などにはどこも夏草がぐんと背を伸ばしている。たくましいと言えばそれまでだが、農耕をはじめてこの方、人類と草とは永年の戦いの歴史がある。草を抑えなければ作物はできないし、農業とは草との折り合いの歴史そのものであると言ってもいいだろう。
鎌などの農具も近代までは古今東西を問わず同じようなものが誕生している。現代はずいぶん近代化、機械化されてより迅速に、より短時間に、大量の作物生産が可能になった。
政府は大規模化を目指しているようであるが、零細な、細分化された農地が多いこの国ではたしてそれだけで農業再生ができるかどうか。見放された土地の荒廃がさらに進むだけのように思えてくるが。
インドを原産地とする茄子は水をもっともほしがる。雨がつづいて茄子の花がさらに増えたような気がする。

駅浸水

週末に水配られて田を掻きぬ

上の田から順に下の田へ。

今年はいつもより早めかと思う水配り。
雨が順調に降って山の中腹の池も満水に近いと思われる。水の心配もなく今年は幸先いいスタートが切れたようである。
だが、昨日は駅の線路まで浸水して大和路線は運休となるくらいの豪雨で、降りすぎるというのも困りもの。田植まで何ごともないように祈る。