のびのび

てらひなき児らの斉唱秋うらら

トトロの歌が教室よりこぼれる。

音楽の授業らしく教室から斉唱の声がもれてくる。
思わず聞くともなく見上げると、空はまたとない青空。
それだけでこの日一日幸せな気分が持続する。
自分たちの時代の教科書と言えば童謡、小学校唱歌が中心で、今のようなアニメなどポピュラーな曲は見られなかったと記憶している。
子供たちの声ものびのびとしていて、いかにも楽しげで、歌が苦手な児、上手な児関係なく、それぞれ自由に歌っているように思えた。
画一的な教育の弊害が言われるなか、授業が嫌いにならないことがまず第一であるように思える。

音頭取り

宮入のかしられたる里祭

町のあちこちで通行規制がかかる。

今日は龍田大社の例大祭で、町内各地区のお宮から練りだした太鼓台を中心とした楽車だんじりが大社に勢揃いする。
それが終わると、今度は大人子供勢揃いで楽車を曳きながらもとのお宮に戻る。午後三時頃から各楽車が四方八方に練るので午後五時頃までは通行規制が続く。
ただお宮に戻るだけではなくて、地区をくまなく練るので坂の多い地区では思い楽車を曳くのは大変である。ハンドマイクを持って大声で進行を仕切る頭の声はもうがらがらで、宮入する頃には息も絶え絶えといった風情。挨拶も何を言ってるのか分からないくらいしわがれている。
無事にお宮に戻って無事庫入りする頃には辺りはもう暗くなろうとしている。すると世話役の音頭で乾杯のあと盛大な打ち上げ式で産土の宵は更けてゆく。

冬の田へ

屑藁の濃きうすきをく刈田かな

稲刈りが終わって急に寂しくなった田。

コンバインに切り刻まれた藁やら、早いところでは籾殻さえも置かれているところがある。これらはいずれ冬耕、荒起こしによって鋤込まれるのであろうが、水鳥も来ない刈田となっては冬は長い。
この辺りは二期作もなくこのまま冬を越すので、静かなしずかな棚田の景色が広がるのみである。

日暮れまで

道の泥掃いて収穫とりいれ仕舞ひけり

棚田は第二弾の採り入れ日だったようである。

棚田の各田を廻るごとにコンバインの音が響き、今日だけでいったい何枚の田を刈ったろうか。一台のコンバインが棚田を順繰りに採り入れていくということは、レンタルあるいは委託の稲刈りであろう。
午後五時を過ぎるとさすがにうす暗くなってようやく終了したようで、最後は各田を巡るたびに一般道を走るコンバインが落としていった泥を丁寧に掃いて今日一日が暮れていった。

遠い昭和

寄道を知らぬ下校児ゐのこづち
ゐのこづち昭和は遠くなりにけり

小学校から集団下校の子供たちがやって来る。

シニアの見守り隊に引率されて、おおむね皆おとなしく列を作っている。
このままあらかじめ決められた道をたどって家に着くのだろう。
こうした光景を見ながら、記憶は遠い昔をたどる。
めいめい仲のいい連中と連れだって、ときには道端のものに興味を示したり、道連れしたり、あるいはこの後一緒に遊ぶ約束をしたり、とにかくおとなしく帰るだけでは済まなかった日々を。
この時期外遊びすると服のあちこちにゐのこづち、通称ひっつき虫をつけてきて、玄関前などで頑丈なやつをはがしてから家の中へ入ったものだった。
これを互いに投げ合って相手の服に命中させる遊びもよくやった。
昭和はもはや記憶の遠いかなたにある。

豊年祭

例祭の幟や秋の旧参道

十月の第三土曜日〜日曜日は当町の龍田大社の秋期大祭。

これに合わせて地域の町のお宮でも例大祭が行われる。
そして各地区からは太鼓台を主としただんじりが出され、地区を巡回したあと大社に宮入する光景は一見の価値がある。
万葉の頃からの古い街なので当時の旧道も残つており、九月に入ると狭い旧参道をはさんで例大祭の幟が各戸にたって、ああもうそんな時期なんだと教えてくれる。
秋の例大祭は、豊作への感謝の祭。いわゆる村祭が大社を中心に各地区いっせいに行われるのである。
地区の太鼓台がお宮に戻る最終日各地区で盛大な打ち上げが行われ、夜まで各宮は皓々と灯がともされるのはいかにも豊年祭というにふさわしい。

裏年

植木屋の柿の枝葉に目もくれず

どこの家も柿の木が色づいてきた。

今年は太り始める季節に暑くて雨も少なかったせいか、出来はもう一つという感じか。
店先に並ぶのはそこそこいいようであるが。
やはり、きちんとした技術がないとあのような立派なものにはならないということか。
わが家のは今年は裏年であるようだが。