爽快転じて苦行

爽やかや籾殻一袋抱き余す

一袋20キロくらいの重さになるだろうか。

長さ1メートルちょっと、直径40センチくらいのビニール袋。
この期間だけ営業しているJAの乾燥施設で籾殻をもらってきた。
籾殻なんてあの風袋からして軽いものだと高をくくっていたら大変な目にあった。
昼間は感じなかったが、夜になって床で寝返り打つにも腰が痛い。
合計四袋。これを車から菜園までひとつひとつ移動するのに、それぞれ途中一回の休憩が必要になるほどである。
車に積んだときには新しい籾殻の香りに包まれて気分よかったのだが、これを長駆運ぶ段になると苦行以外何ものでもない苦痛とあいなった。

郡山秋景色

昃りて藁塚影を失へり

大和郡山辺りも稲刈りが始まったようだ。

刈田の間に乾びた金魚田が点々とあるのはいかにも郡山の風情。
多くは機械で刈って細かく裁断された藁が散乱したままだが、なかには藁ぼっちを組んで干しているのもある。心棒を立て堆く組んで干すと言うより、乾けばすぐに回収できるように、束ねた藁を扇形に拡げてあるだけのものがほとんどである。畑の敷き藁に使ったり、庭木の保護などに使うのであろう。
高く組んだものは冬越しをさせて、堆肥などとして利用するため長期間その場で立っているのだが、化学肥料に頼るいまの農業ではそのような光景はもう珍しい。
簡易藁塚は年内に姿を消してしまうのが通例である。

店仕舞

夜とともに虫黙らする雨となる

ただでさえ虫の少ない年である。

虫すだくという言葉がどこにも見当たらない年だったとも言える。
そういう意味では今年は秋に肩すかしされたようでもある。
風呂での楽しみを奪われたのも残念である。
この暑さでは虫もやる気にならないだろうなあと自らを慰めもしたが、いざその暑さが去った途端の寒いとさえ感じる気温の落差である。これでは虫も恋を語るどころではないだろうなあと。
あげくに今日の冷たい雨である。
辛うじて一二匹鳴く夜はあったにしても、夜になって雨が強くなった今日は虫さんたちも店仕舞するのも無理ない。

当たり前とは

着古しの雨に濡れたる案山子かな

このところ趣向こらして人間的な案山子が数体立っている。

稲刈りを目前に控え二週間ほど目を光らせているようで、その効果か、稔りは順調のようである。
すぐ隣は昨日稲刈りが終わったばかりで、稲架にたわわに成果が架かっている。
案山子田は春は一面は紫の蓮華に包まれ、秋はこうして案山子の風景。隣の稲架といい、今の時代に珍しくも光景が一カ所に凝縮しているのが貴重である。
一段高いところにある小学校校舎からは、彼岸花が姿を消した後も昔ながらの棚田の風景を眺めることができるが、子供たちには大きくなってもそれは最早当たり前ではなかったのだということを知っておいてほしいものである。

手刈りならでは

昨日までなかりし稲架の匂ひけり

一日にして風景が一変した。

機械の助けもあるのだろう、半日で稲刈り、稲架組み、稲架掛けが終わり、辺りにかぐわしい匂ひを放っている。
その周りのまだ稲刈りの済んでない田には、趣向を凝らした案山子が何体も出現していかにもこの季節の景。
機械化が行き渡る世の中で、手刈りならではの眺めが楽しめるのも嬉しい。

酒量

秋風や葉書の欠に丸を打つ

この時期、いろいろお誘いの案内が届く。

暑さも落ち着いた秋は同窓会、OB会などのシーズンかも知れない。
我ら世代とそれ以上の世代の連絡手段はいまだに郵便で、メールやSNSなど便利なツールもあるなか幹事の仕事もなかなか大変である。
なかには毎年会報を発行している会もあり、たとえ欠席でも近況報告を兼ねて拙稿を送らねばならない。会の当日はしばらくは欠席会員の近況などを肴に盛り上がることになる。
秋の集いは熱燗などいろいろな酒がうまい。秋の夜長を、気のおけない仲間と過ごせばあっという間に時間が過ぎてゆく。どなたも酒量は昔に比べればずいぶん減ったが、自分の適量は十分コントロールできる世代となっている。

お手上げ

冷ややかに虫喰の菜を引つこ抜く

風が冷たかった。

立ちっぱなしでいると水洟が出てきてしょうがない。昨日からTシャツの下に長袖を着込んでいるのだが、それでも風が身のうちを通り抜けるようで寒くてならない。
大根を蒔いても蒔いても芽が虫に食われる。小蕪も、菜花もみな同じ。
青虫はネットをかければ蝶を防げるので影響ないが、土に潜む虫にはお手上げである。
その大根サルハムシは当地の菜園をやるまで経験したことのない虫である。
間引き菜の王様である大根がこのありさまというのは悲しいものである。