帰り花かとみたが

玉砂利に粒と溶けゆく木の実落つ

椎の実がいっぱいこぼれている。

ただ、落下した先が境内の玉砂利で、木の実はまるで石の粒になったように溶け込んでいる。

ここは奈良市白毫寺。
晩秋の奈良盆地を一望できる素晴らしい立地だ。
萩の寺、五色の椿の寺として知られるが、秋でもあり冬と言ってもいいこの時期の句材が数多くある。

名にし負ふ花の札所の冬桜

とくにこの日目立ったのが冬桜、これから紅葉のシーズンずっと咲くというので十月桜とも言える。
小型の地味な花で枝いっぱい咲いていても、春のような絢爛たる華麗さとはまったく無縁なのが冬桜の特徴。

白毫寺へ登る萩の石段は有名で、その途中で冬桜を見つけたときはてっきり帰り花かと勘違いし、

乱磴の歩をゆるめては帰り花

と詠んでみたが、場所を特定しているわけではなし、これはこれで創作句として通じるのではなかろうか。

至る処

朱印所の縁にくつろぐ秋日和
朱印所は庫裡の縁なる秋日和

不退寺の朱印所は寺務所兼の庫裡の縁側である。
縁に座れば庭の草苑に様々な秋の句材が見えてくる。
集めた句材を句にしようとひとしきり縁で思考を巡らすが、ただ心地よい秋日に誘われてリラックスするばかり。
だが、意外に句友との会話の中にヒントをいただくこともあるので、雑談もおろそかにはできないものだ。
現に、昨日はそのような雑談や仕草のなかから佳句がいくつか生まれたようだった。
見逃さず句に仕立てたのはさすがの手練れで、学ぶことの多い一日であった。

伝業平朝臣墓

業平の供養塔訪ふ秋暑し

定例のまほろば句会は不退寺へ。

句材は多かったのだが、見事な菊が咲いているわけでもなく、どれも地味なものばかり。
その繊細さをいかに詠むかに苦心惨憺させられた。
締め切り5分前になってもまだ3句しかできないという、今まで経験したことのないピンチには焦った。
やむを得ず数だけは合わせたので、結果は最初から知れている。
時間をかけて句に仕立てられればいいほうだろう。

不退寺の裏手に業平の墓があるというので、いろいろ探しまわったら石段の奥に見つけることができた。
行ってみると墓ではなく、たいそう立派な供養の五輪塔であった。

芭蕉四態

地に触れて破芭蕉とはなりにけり
芭蕉葉の己が重みに耐へかねつ

大きな芭蕉の葉が垂れている。

自分の重みで先端が地面に突くほど折れ曲がり、それと同時に葉脈に沿って裂け目が入り、破れ始めているのだ。
葉の色が青々しているだけにその痛々しさは目に沁みる。

芭蕉と唐招提寺とは名句「若葉して御目の雫拭はばや」で有名だが、実は寺務所奥にある芭蕉の葉があって、毎回訪れるたびに人知れず自分だけの吟行コースに入れているのだ。「芭蕉」は秋の季題。傍題に「芭蕉葉」「芭蕉林」がある。青々と広がった風情のどこか脆弱な感じを詠むわけだが、それに裂け目が入って破れさらに哀れをますものを「破(やれ)芭蕉」で同じ秋の季題。蓮が破れたのを「敗荷(やれはす)」(破れ蓮)と言うが、これも晩秋の季題だ。
台風や雨が続いていたので、あの大きな葉が揺さぶられでもしたのだろうか、すでに何枚かは破れかかっていたのを詠んだもの。
初夏には「芭蕉巻葉」で玉を結んでいるもの、夏は「芭蕉の花」があるがこれは地味な花だし、タイミングがうまく合わないとなかなか見つけられないかもしれない。それとも南国の方へ行けばあちこちで見られるのだろうか。

殺生するなと

大寺の奥まるほどに法師蝉

唐招提寺の和上廟は南大門から入ると一番奥の北東角にある。

手前が中秋の観月讚仏会が行われる御影堂で、ここいらからは木が鬱蒼と茂り小暗き森のようになる。和上はこの静けさのなかにお眠りになっているわけだ。
それまでは、蓮だ、小鳥だ、お釈迦様だと賑やかに歩いていたが、このしーんとした浄域に入れば蚊も多くなり法師蝉も降るように鳴いている。

殺生を戒しむ寺の秋蚊かな
不殺生の故事ある寺の秋蚊かな

この唐招提寺では5月19日、鎌倉時代の中興の祖・覚盛上人の命日に「うちわまき」が行われる。
不殺生の教えを守り、蚊も殺さなかったという上人をしのび、「せめて蚊をよけられるように」と奈良・法華寺の尼僧がうちわを供えたのが由来という。
そんなことを思い出して、もう一つ。

戒寺の打つをためらふ秋蚊かな

気苦労

一枚の田にも遅速の稲の花

よく見ると同じ田でも成長が微妙に違うようだ。

半分ほどは穂も出て花がつき始めたものがあるが、残り半分はようやく穂が立ち始めたばかりのものもあって、一体何が原因でこうなるのだろうかと疑問に思った。日当たりには特別差がないように見えるが、水の流れとか栄養の偏りとかあるんだろうか。

このような状態を見極めて実りの秋まで心を配っていかねばならぬとは、あらためて農家の苦労を思う。

二百十日の空模様

実の飛ぶや蓮の蕚の雨溜り

今日は空模様が怪しい。

傘を持って出たが、日中は意外に雨が上がり吟行は濡れずには済んだ。いっぽうで、雨後の湿度は高く蒸し暑い一日となった。
吟行地は西の京。なかでも、どちらかといえば薬師寺よりも句材の多そうな唐招提寺を選んだ。実際に、夏から秋への変わり目の季節ということもあって、句材がいくらでも転がっているというまことに贅沢な日であった。
聞いた話では二百十日にもあたるこの日は「厄日」であり、関東大震災の忌日「震災忌」でもある。「稲の花」、「走り穂」の佳句も多く非常に勉強になった。

唐招提寺は和上伝来と伝わる蓮でも知られるが、境内のあちこちの池や鉢に花を終えた蓮が多い。花のあとの実には大きな種がいくつか入っていて、これが弾け飛ぶとぱっくり穴があく。掲句は、ちょうど夜来の雨があり、それを溜めたままになっているのを発見したのを詠んだもの。