近場で見つける

紫陽花のしとどの雨に撓ふなし
いささかの雨のあじさゐ瑠璃浄土
水得たるけふのあじさゐ瑠璃浄土

つくづく紫陽花は雨に似合うと思う。

しかも、わざわざカネや時間をかけて名園、名所を訪ねなくてもいいのだ。
バラや菊のように土を選ぶとか栽培が難しいわけではなく、誰でも簡単に花を咲かせられるのがいい。
通りすがりのよその庭、児童公園、路地の鉢などでも、雨さえ降っていれば紫陽花の方からここだよと教えてくれるので散歩のついでに幾らでも見つける楽しみがある。今年は今のところ空梅雨とはならず適度な湿り具合なので、意外なところに新発見があるかもしれない。

例年より早く梅雨に入った関西以西だが、実は開花とのタイミングがぴったり合って今年こそまさに紫陽花の当たり年ではないだろうか。

梅雨の晴れ間に

五月晴いよいよ昏き大峰山
まなかひの峰は異国に梅雨晴間

梅雨入り宣言の翌日の昨日は快晴。

文字通り「五月晴」である。
おまけに空気の透明度は年に数回あるかどうかの澄み具合。
おかげで、吉野、大峯の山々がいつになく黒く大きく鮮明に、ぐっと身近に迫って見える。こんな光景は真冬でもめったにないことで、当地に越してきて初めてのものだ。

しかし、考えてみれば奈良盆地からみて吉野以遠は天領、言ってみれば国の姿もまるでちがうし、人を寄せ付けがたい異境でもある。その異境の峰が平地に向けて倒れ込んでくるかのような迫力さえ感じるのであった。

飛火野点景

飛火野の画布一脚に緑さす
緑なす大樹の陰の画布まさら

飛火野は広い芝生広場。

大楠の大樹が真ん中にでんと座を占めている。明治天皇が休まれた御座所跡に植樹された木だという。
この大きい光景をまた別の大きな木の下にキャンバスを立てて描こうとする人がいた。
夏の暑い日、平日の正午近くともなると人気もなくて、一人の画家とわずかな鹿がたむろするだけ。
緑陰にたてたキャンバスはまだ何も描かれてなかった。

梅雨に入る

この樹肌慈しむかに蝸牛
素封家の庭のどこまで蝸牛

梅雨が近いと聞いていたがまさか今日とは。

驚いたが、しかし歓迎してもいい雨だと言える。連日真夏のような暑い日が続いていたのだから。
おかげで、庭の紫陽花が一気に色を増して目にも鮮やかに生き生きと映えて見える。ガラス越しに眺めていれば、雨に閉じ込められていてもいっこうに気にはならないものだ。
庭の水やりも手抜きもできるし、農家も喜ぶし、梅雨もまんざら悪いものではない。ゲリラ豪雨や土砂災害、集中豪雨の弊害さえなければ。

長い梅雨になりそうだが、うまく付き合っていきたいものだ。

奈良公園は走行注意

鹿苑を吹き行く風の梅雨きざす
枝なしつあるといへども袋角
袋角早きは枝をなしつあり

今日は奈良公園方面の吟行。

予定の万葉植物園に辿り着いたら何と今日は臨時休園だと言う。
遠目にも「花菖蒲開花」と大書した看板が立っているのにである。
このあと鹿苑の子鹿公開まで1時間以上間があるので、急遽春日大社本殿(造替工事のため神さんは留守だが)の特別公開に向かったが、信心の浅い身には拝観料千円はあまりにも高く踵を返して参道を彷徨う羽目になった。

鹿苑の入り口の子鹿誕生データによると、今日まで鹿苑で18頭、公園全体ではこの倍以上の子鹿が生まれたようで、今年は全体で200頭の見込みだという。
一方で100頭あまりが毎年交通事故で命を落としていると聞く。奈良へ車でお出での節はぜひスピードを落として注意して走行願いたいものだ。

気分よく梅雨を迎える

六月に入りて忙事の多きこと

今週末にも梅雨入りしそうだと聞く。

そう言えば、今日から月があらたまって6月である。
だから早々に梅雨入りしたって別に不思議ではないが、不意打ちをくらったような気がしないでもない。
ただ、梅雨期ともなれば外歩きもままならなくので、今のうちにやっておきたいことがいっぱいあるような強迫観念にとらわれてしまう。
まずは、髪を切ってすっきりしよう。

黄昏の空

昏れかぬる空に確かむ蚊食鳥

うす暗い空を背景に蝙蝠が飛ぶ。

蝙蝠を目撃できるのは黄昏時だけだ。とっぷり暮れてしまえばどこにいるのかさっぱり見分けが付かなくなる。
入浴の後、涼をとりに外へ出たら今年初めての蝙蝠を見た。

虫がいっぱい出てきて餌には困らない季節になったんだろうが、人間にとっては蚊に刺されるのがせいぜいの落ちだ。