天に代わって

吊鉢が仮の庵や雨蛙

住宅地に隣接する田の方向から蛙の声がさかんに聞こえてくる。

確認したわけではないが、おそい奈良盆地の田にもようやく水を張り始めたのではないだろうか。
そう言えば、いつもなら庭で声を聞かせてくれる雨蛙君の鳴き声を聞かないし姿も見かけないので、何処かへ行ってしまったか、死んでしまったに違いない。

そんなことを考えていると、今日ひょっこりと顔を見せてくれたのである。いつものようにランの棚に吊ってある鉢に水をやっていたら、半緑色の衣装に身を固めた一匹がこっちを向いているではないか。
鉢は冬の間は部屋に取り込んでいるので、春に外へ出したらいつの間にかやってくるという彼(または彼女)にとってはお気に入りの場所らしい。毎年寒くなるといつの間にか姿をけしてしまうが、よもや鉢の中で冬眠しているのではあるまい。

今日もまた真夏日に近く、例によって奈良盆地には雨がなかなかやってこずゲッゲッゲッという予告もまったくないので、それまでは毎日天に代わってせっせと水分補給してやらなきゃね。

あれもこれもは

藷植うに遅れとらざる嫗かな

直角に近い角度に腰が曲がっている。

歳はとうに80歳は超えているように見えるが、馴れた手つきで苗を埋め込んでいく動作には一定のリズムがありまだまだご健在の様子である。
またたく間に一畝植え終わると、乾燥除けの藁を敷き、最後には水やりして短時間の間に作業が終了した。

この季節苗屋に行くと色んな種類の藷苗が並んでいる。見るとたいがいが萎びているが意外に強いようで、畑に挿した後水さえきちんとやれば一週間もしないうちに根付くという。見ればあれもこれも植えたいと思うが、場所に限りがあるのが残念だ。

夢千代の町で

列島の先陣きって海開

昨日兵庫県新温泉町海開きのニュースを見た。

日本海に面し、鳥取県に接する兵庫県最西北部の町のようである。名前からしてもしやと思い調べたら、果たしてあの湯村温泉がある町だった。
海岸線は国立公園に組み込まれるほどの景勝地で、素晴らしいながめを楽しみながら浦々を走らせるには今が最高のシーズンである。
このあたりの名物、冬はむろん松葉ガニだろうが、今頃はカレイの干物とかがずらりと並んでいる光景が懐かしい。

梅雨入り前の海開きというのはまだ水も温んでおらず寒いのではというイメージがあるが、今年のように毎日30度を越す日が続けばすこしも違和感がなくごく自然のように思えてくる。

再訪を

青春のきっぷ行き過ぐ花南天

18歳の目に果たして南天の花が止まるだろうか。

桜井の聖林寺は国宝・十一面観音立像で知られているが、意外に知られてないのは南天のお寺であることだ。あちこちに南天が植えられていて、晩秋には紅葉とともに真っ赤に染まった境内を楽しむことができる。聖林寺に行くなら絶対に晩秋がお奬めである。

先日キヨノリ君ご夫妻と一緒に観音さんを拝して同寺を辞すとき高校生の団体と行き交った。こんな小さな寺にもスケジュールを割いて東京から修学旅行生がやってくることにも驚いたが、同時にこの寺をコースに組み込んだ関係者の見識もまた好ましかった。
ただ、こんな小さな寺で一度にたくさんの生徒がゆっくり拝観することは大変で、おまけに夕方に近い時刻だったので、おそらく国宝を見るだけで終了してしまったにちがいない。
卒業したらぜひもう一度ゆっくり訪れてもらいたいものだと思う。

今は地味な南天の花の季節、青春真っ只中の若人に気づいてもらえるだろうか。

花のサイクルが早まった?

柿の花落ちて顎片おびただし

柿の花というのは地味な花だ。

しかも、何時咲いたのかは気をつけてないと見逃すことが多い。木の下に花というか顎片がいっぱい落ちていて、それで柿の花が咲いていたことを知ることが多い。

柿の花から実へ

ただそれでも花に気づけばいいほうで、いつの間にか結実しているのが目にもはっきり分かるようになってはじめて「咲いていた」ことを知ることもある。今年はとっくに咲き終わっていたようで、木に近づいて初めて実がついていることを知った。

それにしても「柿の花」は歳時記では6月に載っているが、今年は他の花も含めて花の時期が一様に一ヶ月ほども早く感じるのは私だけだけだろうか。

青梅の運命

期待してをらぬ青梅のことしまた

猫の額の庭だから、花こそ楽しみにしているが果実など期待してはいない。

実梅を採るには枝を横に広げるようにして育てるので、一般家庭の庭にはどだい窮屈である。

庭の青梅

ところが、春に刈り込んだ枝にはもう葉がびっしりと茂っているが、近づいてみると葉陰に何個か実をつけているようである。それも割合に大きめで間もなくすれば収穫できるくらいに立派な青梅だ。
ただ如何せん、数が足りようもないので放置するしかなく、やがていつの間にやら落ちているのを見かける程度である。
この春、その落ちたと思われる実から芽が出て5センチほどに育ったのを発見したが、それもいつの間にやら枯れてしまったようで今ではどこにも見つからない。

初恋

芍薬を抱へ女をのぞかする
芍薬を抱く少女の大人びて
芍薬やポニーテイルのあどけなき

芍薬は大人の女にこそ似合う。

逆に言えば、少女と言えども芍薬を手にした途端大人びて見えることもあって驚くことがある。今まで同級生とばかり思っていた子が、その日をさかいにして眩しげな存在に変わる瞬間なのだ。