室生寺

石楠花の磴の落差を託言せり(しゃくなげのとうのらくさをかごとせり)

先週末知人を長谷寺と室生寺を案内した。

せっかくこの時期に来奈されたんだから、牡丹と石楠花のそれぞれ随一の名所に行かぬ手はないとこちらから提案したものだ。見事な牡丹と全山の石楠花。こんな贅沢な旅はそうそうはないだろう。ただ、駆け足の旅だったので少々くたびれてしまったが。

ただ、室生寺に来てみて石段の落差を大きく感じるようになったことは発見だった。もともと足に障害のある家人は前回尋ねたときは奥の院までは行き着けたのに、今回は途中の弥勒堂の段差に汲々としている。

当地では何をするにも車でということが多く、あまり歩くことがなくなってきたのもその理由らしい。考えさせられる奈良暮らしである。

桐に似た花

橡の木の葉は伏せ花は直に立つ

橡の木を見ることは意外に少ない。

山深いところにあって、里にはないからだろうか。
なんとか目にしようと思えば、植物園とか公園に行くしかないのかもしれない。
さいわいなことに、馬見丘陵公園はいろんな樹木が植えてあり、それぞれに名札をぶら下げていてくれるので、いろいろ知ることができる。その橡の木は、中央入口から入ってすぐのところにあった。想像以上に葉が広く大きい。そのせいかどうか、葉は重そうにやや垂れているが、花の方はと言えばまるで桐の花のようで、直立した円錐形をした花序にいくつもの花をつけている。色は地味な白だ。

文語体にて

尋めて来し長谷の牡丹の裏切らず(とめてこしはせのぼたんのうらぎらず)牡丹のいづれ秀ととも言ひがたく(ぼうたんのいづれほとともいいがたく)一年を五ヶ日のために牡丹守
参道まで牡丹溢るる長谷の山
参道の鉢にも酔ひて牡丹寺

ようやく牡丹を句にすることができた。

花そのものを詠むというのはもともと苦手だが、やはり半日吟行に行ったのだから何とかものにしたいものだし、見たもの感じたものというのは一体何だったのか、一旦自分を突き放して思い起こしてみると見えてくるものがあるのではないか。そんなことから家に帰ってからも思考を巡らせてみて思ったことは、「たとえ即興で成らずとも、時間をかけて自分の言葉を探り当てる努力を惜しまないことが成句につながる」という、当たり前のことなんだが、意外に忘れがちなことでもある。

ところで、このように作句してみると、あれこれの思いを五七五におさめ発散させるには、やはり文語体に限ると思う。古典をもっと学ばねば。

玉鬘ゆかりの

老鶯の指呼の間とても舞ひ出らず
指呼の間の老鶯つひにまみゑえず

隠国の谷は深い。

先ほどから、長谷寺に対座するかたちになる寺領・与喜山から、鶯の声が引きも切らず谺するように聞こえてくる。近寄ってみようと、本山と与喜山の間を流れる初瀬川を渡って、見上げるような山の威容を前にすると、鶯の声はさらに大きく響く。すぐそこにいるはずなので、じっと目をこらすがなかなか姿は捉えられない。

鶯を諦めて、本居宣長が訪れたときあったという「玉鬘庵」跡が近いので行ってみると、そこは竹林になり果てて、ときどきの風にのって竹の葉が流れていくだけである。

玉鬘庵跡すさび竹の秋

明るい墳丘

墳丘の一ト日費やし草を刈る

新緑を求めて馬見丘陵公園へ。

チューリップが終わり、夏の花までには間があるちょうどこのときは、どの墳丘も新緑に覆われて吹く風も心地よい。
ここは丘陵公園だから墳丘のうえも探索できるようになっていて、樹木も少なめでほとんどが落葉樹である。一般に陵墓というのは立ち入り禁止だし、だいたいが常緑樹に覆われっぱなしになっているのと比べれば、すこぶる明るく、かつ見通しがよいのが特徴だ。
馬見丘陵カタビ古墳群の墳丘
一般の人が自由に立ち入って親しめるよう日頃からよく整備されているようで、今日は直径80から90メートルくらいの墳丘の草刈りをしているようだった。これくらいの規模ともなると草刈り機を使うとはいえ、後の始末なども考えると1日仕事くらいにはなりそうである。ほかに100メートル級の墳丘がいくつもあるので、全部を刈り終わるのはまだまだ先のように思える。

薄暑

胸つきの回廊すがし若葉風

長谷寺本堂へ行くには、大門から入ってすぐに登廊をたどることになる。

その両側に牡丹園が広がるわけだが、長い直線をしばらく登ると今度は各一回ずつ右に折れ左に折れして本堂に近づくことになる。その最後の廊ともなるとこの時期うっすらと汗ばんでくるほどである。まさに「薄暑」という言葉がぴったりする感じだが、そういうときに廊を横切るように風が吹いてくるとほっとする。
上へ行くほど視界が開けているので、見渡せば左右はいつの間にか若楓。本堂の舞台に登れば山全体が見渡せて新緑の中に堂宇の瓦がきらめくようにまぶしい。

もし、長谷寺に行くならこの時期が一番のお奨めになる。

スマホ写真

牡丹園ペットとともに自分撮り

今日は長谷寺吟行。
長谷寺の牡丹
牡丹守のお話では今年はここ数年でも最高の出来だそうです。そのせいか、2万本近くの花の艶やかなこと。毎日のお世話もあって最高のコンディションを維持しながら、あの長谷の谷間の斜面に段々と牡丹園が展開するのですから、下からも上からもよく見通せて溜息がでるほどです。

今の長谷寺は牡丹の他にも、石楠花、芍薬、若葉、鶯、竹の秋等々、句材が目白押し。句材多くとも佳い句が生まれるとはもちろん限らないわけですが、時間をかけて燻せば満足できるものに近づけるのではないかと思えてきます。

掲句はとても俳句会のレベルでは採用とならないのですが、犬を高く抱きかかえながら若い人がスマホをかざして自分撮りしているのが大変微笑ましく即興で詠んでみたものです。