剪り花

長雨のつぼみに重き四葩かな

五月に梅雨入りするのは十年ぶりらしい。

ということは以前にもあったということで、梅雨入りは六月という既成概念がこの十年で打ち砕かれた感じがする。もしかすれば例外的に早い梅雨入りというのが遡ればあるかもしれないが。
この週間予報では梅雨の前触れ程度にしか考えてなかったので、いきなりの宣言には正直参ったなあというところである。
梅雨の準備も整わぬうちにこれから二月ほどムシムシジメジメとした日々が続くかと思うと憂鬱になるが、いっぽうで雨を滋養とする紫陽花などの草花などが暗い庭の片隅に彩りを添えてくれるのであるから、それはそれでいいものではあるが。
その紫陽花もいまだつぼみで、開くにはいま少し時間がありそうである。今年は順調につぼみを着けているようだから剪り花にしてもいいかもしれない。

競演

遠時鳥とかく失せ物多し

昨日、今日と連続して遠くの時鳥を聞いた。

信貴山下の棚田一帯を渡り啼いているようだ。時間は午後遅い時間。深夜啼くことがあるし、活動時間帯は想像もつかずまるで忍者みたいな鳥である。
いっぽう近くの両岸が竹林に囲まれた川では、日がな一日鶯が啼いていて両者のハーモニーはこの時期だけの自然の贈りものである。
明日から雨が続くというので菜園の雨対策のほかサツマイモの苗挿しも何とか間に合わせることができた。
あれもこれもとやることのある一方で、鶯と時鳥の競演。それらに気をとられているとこれまたあれこれ忘れ物したり、失せ物探しにうろうろしたり。いやはや、あわただしい日であった。

手に汗握る

水入りははるか夏場所終はりけり

いつの間にか始まって、いつの間にか終わっていた。

モンゴル力士ばかりが強い印象で最近ではすっかり興味も薄れてしまっているが、もうひとつ相撲が面白くなくなったのは技と技とのぶつかり合いという試合が見られなくなったこともある。立ったと思ったら一瞬でカタがついている相撲が増えて、手に汗握るというシーンがすっかり姿を消して、面白さというものに欠けてきたのである。
栃錦、若乃花の時代、よく水入りの勝負を見たものだが、今では一分を超す勝負はほとんど見られなくなった。それだけスピードの相撲という時代に変化したわけで、怪我による欠場が多いのもむべなるかなである。
毎回のように大関カド番が話題になるような相撲はほんとうに面白いのだろうか。

思い入れ

二児を得しころの団地の杜鵑花はも

どうも我が家のは晩生のようである。

杜鵑花というのは四月の躑躅が終わってゴールデンウィーク頃の花だとばかり思っていたが、生垣代わりのsa杜鵑花が年々咲くのが遅くなっているような気がしてならない。もう五月も終わろうかという頃に申し訳なそうに小さな花をつけている。
手入れが悪いのが主原因だろうとは言え、不思議でならない。
というのも、杜鵑花というのは子供たちが生まれたころ、団地の生垣という生垣に咲き満ちていた記憶がいまだに鮮明に残っており、思い入れの強い花なのである。
すでに半世紀がたとうとしているが、今でもあの杜鵑花は健在だろうか。庭の杜鵑花が咲くたびにそんなことが頭を過ぎるのである。

パネルの浮田

金魚田を縫ふことしばしナビのまま

大和郡山の金魚田が集中しているあたり。

グーグルのナビは実に芸が細かくて、地元の人しか通らないような道を実に的確に教えてくれる。車載のナビは大道しかしめさないので、自然に信号の多いルートとなりがちだ。また、盆地は大和川支流が縦横に走っているのでそれをかわすようにあまたの道がある。地図を見ただけでは走りやすい道なのかどうか分からないので、ナビの示すルートは安心して進むことができる。現に勘で走ろうとした道は、路地のように入り組んだ集落に突っ込んでしまって、にっちもさっちもいかなかったことが何回もある。
金魚養殖も昔のような全盛期は過ぎたようで、今日など金魚田に何枚もの発電パネルを浮かべた休み田を発見した。埋め立てるのではコストがかかるので、池に浮かべてしまえという発想はたくましい。
ほどなく見慣れた道に出てナビのお役御免となった。

ひねもす

緒を引くやフリーサイズの麦藁帽

サイズFながら実際には3Lくらいあるのではないか。

安物の麦稈帽子を買ったはいいが、ぶかぶかでちょっとした風にもすぐに飛ばされてしまうのは困りもの。
西日があまりも強いので、いつもはカンカン帽のところを麦わら帽子に替えていざ菜園となったのだが、ツバが広い分いろいろものに当たって作業しにくいのだった。よかれと思ったが麦藁帽は作業には向かないものだと分かった。
あれは海浜などでひねもす太陽浴を楽しんだり、鮒釣りでもしてじっと浮子の動きをみているようにできているのではなかろうか。などと文句言いながら今日も日射病で倒れることなく無事に帰宅できたのであった。

聞き逃し

空海の秘話聞くラヂヲ風薫る

窓を開けて走る快適な朝。

カーラジオのスウィッチを入れると空海の話しが流れてきた。聞き慣れた声だったのは、元奈良国博館長西山さん。今も帝塚山教授として、新聞連載やNHKのローカル番組でも「仏教よもやま話」などで奈良県民にはよく知られた先生である。
カーラジオの局は最近はもっぱらNHK第二放送と決まっていて、語学番組やら外国語ニュースやらを聞くともなく聞き流しながらハンドルを握っているので注意力が散漫になることもなく安全なのである。
今朝の場合はたまたま「カルチャーラジオ歴史再発見」シリーズだったようで、運転中だけではすべてを聞けなかったので聞き逃し配信で再聴取。車を降りても殘りをラジルラジルで聞き続けたり、なにかと便利である。
今日明日と暑さも抑え気味のようで、むしろ風などは涼しくて肌にもやさしい。明日あたりは庭の草取りなどの最後のチャンスかもしれない。