六月の声

健やかや遠ほととぎす聞きとがめ

耳はまだ大丈夫らしい。

きょう二日ぶりに畑へ行くと、おそらく信貴山の麓あたりかと思われるがかすかにホトトギスのキョッキョッキョッという声を聞いた。
それはほんとにわずかな声でほかに作業している人に伝えても分からないという。
かすかでいて、しかしはっきりとホトトギスと分かる鳴き声を聞いているとまるで白昼夢のように思えてくる。夜に夢うつつでホトトギスを聞くことが多いが、今日はその白昼版でもあるかのようであった。
ホトトギスは移動性が強いので明日はもう聞くことがないだろうが、いかにも六月の声を聞くようでやはりホトトギスは初夏あるいは梅雨前には欠かせない鳥だと思う。

道だけ

残鶯の一級河川惜しみゐて

川柳が大きく育った河川敷。

そのかしこで鶯が鳴いている。まだ山に帰るのは早いとてここで英気を養っておるのであろう。
ここは大和川中域、支流が合流するあたりである。堤防沿いの道以外はなにものもないが河原から聞こえてくる鶯にしばし耳を傾ける。

錆びる

虫喰をのがれ山梔子咲きにけり

玄関先の山梔子が白い。

毎年花の季節の前にかぎって食害があって落胆させられていたが、今年は鬼さんの来ないうちにと咲き始めたようである。
たった一輪。
それでもその白さにははっとさせられるものがあり、思わず見入ってしまう。ただ残念なことに、その白さを維持できるのはほんの数日だけでだんだんと赤茶けた色に萎びてしまう。それがいつまでも落ちないものだから、最後にはただの茶色の固まりの、まるで鉄の錆であるかのような姿になり果てるのが哀れである。それを俳句ではよく「錆びる」と表現する。最盛期には純白のものがあるいっぽうで錆びたものもたくさんその姿をとどめているのもこの花独特の特徴である。

始動難

夏草や刈払機の癖なだめ

受持エリアの草が伸びてきた。

本格的な梅雨が来る前に一度刈らなければならないということで、共有の刈り払い機を使うことにした。
だが、機械が古いうえ共有と言うことで手入れも十分でないのでなかなかエンジンがかからない。これには皆さん頭を悩ましているようである。これには慣れとコツが必要のようで先輩の助けを借りてようやく始動。
初心者としてはまあまあ刈れたが、やはり先輩のようにすっきりとはいかない。ところどころ虎刈りあるも勘弁願いたいと。

一瞬が

只管ならぬ座禅に攣れる跣足かな

気まぐれに胡座座禅を組もうとしたら足が攣った。

足首から先、甲の部分が攣るのである。
夜中にも何かの拍子で足がつることが増えたのも気になる。
運動不足からくるのか、あるいは肉体的にどこか悪いのかそれは分からぬが、夜中に突然声を上げるものだから家人に叱られることも増えた。
さいわい後を引かない痙攣であるので動くには問題ないのだが、自転車を漕いだりバイクに乗ったりするときに一瞬たりとも攣るのは突然動けなるだけに怖いものがある。

照り返し

生り年の花芽重たや柿若葉

花芽をびっしりつけて枝がしなる。

徒長枝と言って通常は切り落とすところ、垂直に立っていた枝を残すようにコンパクトに剪定したところ、若葉が照りをましてくるにしたがい花芽がみるみる大きくなり、その重みで垂直の枝が耐えられず下を向いてしまっている。
また、幹からは多くの新しい枝が生まれ、その先端はまるでゼンマイのようにまるまっている。ここからも若葉がどんどん生まれていて新しい樹形を形成しようとしている。
先に生まれた若葉はもうすっかり大きくなって空に向ってひろがり光を集めようとしている。照り返しの陽光がまぶしい初夏である。

体力温存

妻煮出す麦湯に恙なかりけり

毎日せっせと沸かしては切らしたことはなかった。

冷蔵庫を開ければいつでも麦茶が冷えていて暑さを乗り越えてきたのである。
最近はどうやらスーパーのペットボトルをそのまま冷やしてあるケースが目立ってきた。
湯を沸かしそれをまた冷やすという作業は、ただでさえ暑い厨では体力を消耗するわけで、安く買えるようになった今は年齢に逆らうことはしないほうがいいということである。
ともあれ早め早めの給水で体力消耗を避けたいものである。