黄砂?

国ン中の四方の山々夏霞

盆地の真ん中に立つ。

四方の山を見回すと、靄がかかっているようで、とくに山頂部がどれも隠れている。
こういう日は暑くなる日で、まるで熱い空気が盆地の底に溜まっているような感じだ。
ただ、今日は黄砂がくるとの予報もあり、汚染された粉塵を避けて窓は閉めたままである。とはいっても、この黄砂は花粉より細かいというから、あまり効果はないかもしれない。
夕方、車のウィンドウを確かめたが、目に見える黄砂はかぶってないような気がする。このまま行き過ぎてほしいものだ。

木下の星

雨兆す庭しろじろと鴨足草

「ゆきのした」と読む。

花が鴨の足を広げた形に似ているからだという。五弁のうちの真ん中が長くのびて、まるで水中で足を伸ばしているかのように見える。
去年通販で買ったそのユキノシタがずいぶんと株を増やして、しかも花をつけはじめたようだ。株が増えるのは、苺のランナーに似て、蔓が縦横に伸びて根を下ろしそこにまた新しい株が生まれる。
今日は株分けして形を整えるとともに、一部を摘んで天麩羅にしてもらった。時期が遅かったせいか、苦くも辛くもなく何の味もしなくてがっかりしたが、固くはなかったことでもあるし、薬草でもあるので旬の物を食することは悪くはないように思える。

木陰を選りて

軽暖のバギーむづかる嬰児かな優良児

簡易型のバギーからはみだした幼児の素足に何か塗っている。

親の顔や腕、足にも塗っていたから、おそらく日焼け止めクリームだろう。
奈良駅が近くなって、外国人親子連れが町歩きの仕度を始めたようだ。
紫外線が意外に強いこのごろ、とくに西欧人にとっては大敵なんだろう。
混み合う車内で、体全体がっちりシートベルトに固められては幼児もさぞ暑いとみえて、さきほどから機嫌が悪い。
駅を出ればいくらか涼しいかもしれないが、登大路をまっすぐ行く道はすでに気温が20度を超えている。鹿さんをみたら機嫌がなおるかな。

今日から夏。やはり季節の実の歩みのほうが早い。

ホームセンター通い

もつれつつ大和川へと夏の蝶

今日もさわやかな薫風。

昨日今日とホームセンターへ行っては、あの苗この苗この種と買うのに忙しい。
胡瓜のネットを張り、苦瓜のネットも二年ぶり。
前回は二人暮らしでは食べきれないくらいの収穫だったので、このたびは一株ずつに抑えたがはたして。
そうこうしているうちに明日はもう夏。目にした蝶も薫風に流れるように車窓を過ぎっていった。

威風堂々

大和棟辺りを払ひ鯉幟

学園前というのは奈良でも一二を争う高級住宅街。

帝塚山大学が駅の南にあり、その周囲に伸びている住宅街である。
電車からは豪壮な家が立ち並ぶのが見えるが、近代的な住宅街にこれぞ大和棟という立派なお屋敷があることに今さら気づいた。折しも、屋敷に負けないような大きな鯉幟が泳いでいる。
構えは大和の伝統的な古民家風であるが、比較的新しい建築だから家の中は意外にモダンなのかもしれないが、まわりは今風の住宅ばかりであり、異彩を放っている。

袋角はおとなしい?

袋角鹿の子模様のうっすらと

奈良の鹿は相変わらず観光客に大人気。

ちょうどこの時期袋角が出始めて二段目までを形成中。なかには二段目の先が分岐し始めて三叉になりそうなのもあって、最低でも4才と分かる。聞くところによると、鹿の角の分岐は四叉までだそうで、そうなると5才以上の証明となるらしい。
なかには、まだ幼い袋角で、体側をみるとどことなく鹿の子模様が残っていそうなものもいた。
袋角の時期の鹿は、秋の繁殖期に比べると心なしかおとなしいような気がする。体をぽんぽんとたたいてみても何の反応もない。煎餅を持つひとを追う仕草もどこかのんびりとしているようだった。
ただ、袋角を触わられるのはさすがに嫌がるみたいで、するりと逃げられてしまった。

竹取の里より

名の知れぬ古墳すっぽり竹の秋

見るからに古墳と分かる丘である。

その丘全体が竹に覆われていて、どれも黄金色、いわゆる竹の秋である。
盆地にはこんな光景がどこでも見られ、とくに盆地周縁部に多い。
人手も入らぬままと見えて、茂り放題というものがおおかたで、林というより藪というのが似合う。ちゃんと手を入れてやれば、今頃が美味しい筍がいっぱい獲れるだろうに惜しいことだ。

くしくも、定例の句会では句友で孟宗の竹林主が何本もクルマに載せてみんなに大盤振る舞い。盆地には竹取物語ゆかりという里がいくつかあって、そのうちの一つからの到来物だ。
いただいてきたのは家の鍋には入りきれないほどの大きなもので、これが数本あるのでしばらくは筍料理が続きそう。これを書いているうちにも筍をゆがく香しい匂いが立ちこめてきて、いよいよ腹が減った感が増す。