末期の水

吸呑に母に吞ませる寒の水

箱の名前を確かめたら「薬のませ器」とある。

何ともイケテない名だなと思ったので、ウェブをうろついたら「薬吞器」−>「吸呑」とヒットして、やはりいい名がついてたじゃないかと合点がいった。「すいのみ」は日本人の感性にはいちばんしっくりくる音。
動けない病人に薬の水を飲ませるには便利な例の器である。
母は秋に逝ったのであるが、食べ物も水も受け付けなくなった最期はこの吸呑で本人の気の済むまで水をふくませたものだ。
寒の水は混じりけなく体にいいと聞く。あの末期の水が寒の頃のものであったらもう少しは生きられたろうか。ふとそんな思いがよぎったのである。

冬の旅

雪晴れて湯宿へのぼる雪上車

今日の兼題は雪晴。

雪のない土地の人間にとっては、過去の旅のかすかな記憶を頼りに詠むしかないのであるが、一番の思い出は蔵王麓の峨々温泉。着いた日はとんでもなく荒れた日で、名物のボンネットバスを楽しむどころではない。宿へは七曲がりの山道をゆくのであるが、猛吹雪の中をカーブごとに警笛を鳴らすのである。
明朝は見事に晴れて大好きな露天風呂へと向かったが、大半が雪に溺れて温くて入れたものじゃない。
旅にはハプニングがつきものだが、朝の水出しの珈琲のサービスにいやされるのであった。
掲句は、信州・高峯温泉へのアクセス。ゲレンデ脇を雪上車の送迎で稜線の宿にたどり着く、これまたワイルドな旅。
雪の季節の旅はそれぞれ深い趣のあることが多い。

ルーチン

寒声や舎利弗ならぬ身のせめて

ちょっとオーバーかもしれないが。

朝に心経を唱えるのが習慣となって久しいが、このとき同時に呼吸や発声の訓練にも取り組んでいる。
腹から声を出せとか、頭に抜けるような感覚で声を出せとか、人によって言うことは違うが、いずれにしても喉を無理に使わないという意味では共通している。
呼吸が整い、うまく発声できていれば吐く息が飛ばないということである。大きな声を出さなくてもホールの隅にまで声が通るというのである。
そんなことも考えながら毎朝勤行に坐っているのだが、これが日によってバラツキが多いというのが悩ましいところである。
何年も続けていると、最後に10回「南無釈迦牟尼仏」を唱え終わると猫の小町(姉御猫)がすうっと消えてゆくようになった。このあと嫌いな掃除機が唸るのを知っているからである。
勤行の後は掃除というのが朝のルーチンとなっているからである。

産みたて

寒卵落として揺るる椀の黄味

物価の優等生、卵。

一年中豊富に出回っている。
しかし、子供の頃の記憶では、自宅で飼ってもいなかったのでほとんど手に入らなかったようである。それだけ貴重なものだったのだが、とくに寒の卵は栄養に富んでいるとかで珍重されたようである。
たまに親戚に遊びに行って、産みたての卵を手にしたらほんのり温かかった。そのまま食卓へ、まだなま温かいものを玉子飯にいただいたことが懐かしい。

古流泳法

旧藩の泳法継いで寒稽古

藤堂藩の泳法に観海流というものがあった。

いわゆる実戦向きの泳法で、武器を手に長く水中にいることができる立ち泳ぎを得意とし、今でもその伝統を守り伝えようというグループがいる。
その寒中水泳の模様を昨日のニュースで見たのだが、巻いた鉢巻きに観海流と染め抜いているのをなつかしく見た。
我が母校では、その伝統を受け継いでか、明治の頃は全員が伊勢湾を往復する年中行事があったそうで、それが校歌にも謳われている。あの山口誓子の作詞、作曲は信時潔になる校歌である。
コロナ禍ということもあってか、今年は参加者が少ないようであったが、60代の御大も参加されて無事に終わったのは何よりである。

すぐ解けた

敗れ傘雪の重さにあらねども

朝からの雪で2センチほど積もった。

積もったが午後にはもう雪が止んで夕方にはあらかた消えている。
内科の予約時間がもっとも降った時間帯であったようで、無事に帰ることができた。
ただ、いつの間にか傘の骨が折れていたが、これは決して雪のせいではないようだ。

黴なし

一分のチンにておはる鏡割

朝から小豆を煮ている気配。

そう言えば、今日は鏡割りの日。
鏡割りと言っても、小槌もなければ電子レンジの出番。
今はパックされた黴もはえないが、子供の頃は黴をかき落とすことから始まったことが懐かしい。